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    【奈良 / JR奈良駅前店】
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    【奈良 / JR奈良駅前店】
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    【大阪 / アメリカ村店3階】
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    人には、生きることそのものが悩みの連続である。
      
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    1人で思い悩んで心を疲弊させて苦しんでしまうならば
    まずは、その状態から脱する為のお手伝いを
    させていただきたいと思います。
      
    広く視野を持っていただくように。
    あるいは、より自然な状態になっていただけるように。
    前に進めるための安らぎを得ていただけるように。
    私は的確に冷静に、そして、暖かく・・・。
    あなた様にお伝えさせていただきます。
      
    心よりお待ち申し上げております。

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    22年以上の鑑定歴を誇るゴコウ先生は、
    これまでにも多くのご相談者様方を
    悩みの連鎖から救ってこられたベテラン占い師。
    ご相談者様の声をリーディングし、本質や長所を
    見抜くなど変わった占術もお持ちです。
    お人柄も素敵で、冷静さと温かみを兼ね持った鑑定が
    ゴコウ先生の持ち味です。
    主観や思い込みでお話しされることなく、
    占い結果をそのまま伝えてくださる先生ですから、
    人には話づらいと感じるご相談でもどうぞお話しください。
    抜け出せないと感じるような悩みや苦しみからも、
    ゴコウ先生とお話しすれば、いつの間にか抜け出せているはずです。

    ゴコウ先生 コラム

    忍(しのび)についてのお話

    第46回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は、予告通り【忍:しのび】についての
    お話をさせていただきたいと思います。

    そもそも忍と書いてシノビと読むのは
    歴史小説が発端となっている影響が
    大きいです。 忍者という名称も
    ドラマ、映画、アニメ、漫画の中で
    使われるようになって定着してしまいましたが、忍者を表す言葉は色々ありまして
    あまり、統一してません。
    そもそも、暗躍する仕事が主になりますから
    存在しますよ!と公に認めることも
    はばかられますから、公式にスパイですとは
    さすがに言えませんよね。
    古くは飛鳥時代にはすでに
    志能便(しのび)と呼ばれていた集団が
    あったそうです。 他にも
    軒猿(のきざる)、隠密(おんみつ)、
    黒巾木(くろはばき)、伺見(うかみ)
    水破(すっぱ)、乱破(らっぱ)、
    間者(かんじゃ)、奪口(だっこう)
    早道の者(はやみちのもの)、
    草、物見、出抜(すっぱ)、透破(すっぱ)、
    透波(すっぱ) などなどの呼び名で呼ばれて居たそうです。
    忍者という言葉は 大正時代に登場したと
    言われています。

    起源として申せば色々な説があり、
    やはりスパイ活動を主にしていたと
    考えられます。 前身として最も有力なのは
    修験者であると言われ、鎌倉時代に
    元寇襲来の情報を朝廷や幕府に伝えていたと
    考えられます。 忍者の役割として、
    決死の覚悟よりも、
    生きて情報を持ち帰るところにありますから
    危険を侵す場面において やはり、
    修験の心得はとても重宝がられたでしょう。
    室町時代から戦国時代にかけて
    もっとも暗躍したと言われ
    傭兵として、または諜報員として
    基本的には主家を持たず 各村村で
    受け継いでいたと言われています。
    依頼を受けて活動していたという事ですね。
    有名な忍者の村として
    伊賀衆、甲賀衆、風魔衆、などなどが
    ありますが、スパイがスパイをしてます。
    とも言えませんから詳細は常に謎に
    包まれています。 しかし、その村の距離の
    近さや逸話などを集めると
    分かってくることがあり、江戸時代になると
    天皇家お抱えの忍び集団や
    将軍家お抱えの忍び集団(隠密)
    厳密には、
    伊賀衆と甲賀衆のハイブリッド集団でした。
    大名家お抱えの忍び集団と言った感じの
    立場を確立していたと考えられます。

    ちなみに、服部半蔵という人物は
    代々受け継がれる名跡で
    最も有名な服部半蔵正成は実は忍者ではなく
    徳川家直参旗本の1人で
    とても怖い武将です。
    (鬼半蔵と呼ばれました。)
    彼の愛刀は妙法千子村正(むらまさ)で
    この頃はまだ 妖刀としては
    扱われてません。
    色々な逸話のある面白い武将です。

    この当時、隠密(忍者)は切り捨て御免
    だったらしいのでバレることを非常に
    恐れていたとも伝わります。
    より平和な状態にもなると
    歌舞伎の演目
    (妖術使いの天竺徳兵衛など)
    になったり
    人形浄瑠璃などでも演じられたそうです。
    そんな時代ですら 忍者の存在が
    昔はいたが 今はいないんじゃないか?
    なんて論争が起こったりしていました。

    元は忍者の家系と言われる薬の行商や
    歩き巫女、荒法師、修験者などに
    身をやつして情報を糧に細々と伝承して
    今に至るという家もあるそうです。

    幕末に島津藩の財政が困窮した時
    その窮地を救ったのが 薬の行商だったと
    言われ、全国の情報が面白いように
    薩摩に集まり、倒幕の原動力になったとも
    伝わり、その影に忍びの力が活かされた
    証拠が見つかったり

    忍びは決して表舞台には立ちませんが
    時々 その影が見え隠れしてしまうのも
    面白いと思います。

    危険に身を晒し、情報を糧に生きる
    プロ集団という感じがします。
    現代においても 忍びの末裔として
    活躍されている方も居られるので
    興味のある方はぜひ 調べて見てください。
    映画やドラマのイメージとは
    少し違った忍びの話が 聞けると思います。

    今日はこのへんで!
    また次回お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/12/07

    九字のお話。

    第45回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです!
    よろしくお願いします。

    今回は【九字】のお話。
    皆さんは【九字】をご存じですか?
    映画、ドラマ、アニメ、漫画などで
    色々目にしたり耳にしたりされると
    思いますが、実際は、
    良くは分からないと言ったところで
    しょうか?

    最も有名なものは
    忍者が両手で印を結び
    《臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前》
    と唱えながら、術を発動したりする
    アレです。インパクトがあるので
    忍者映画などでよく多用されるイメージが
    定着しましたね。

    本来は、修験者が修行を行う前、
    険しい山に立ち入る前などに唱えて
    悪しきものや災いを遠ざける為の目的で
    行われていたと言われています。

    修験道に於ける九字は
    真言宗で用いられる九字に共通していて
    臨む兵(つわもの)闘う者、皆、
    陣を烈り(やぶり)て前に在る
    という内容を九字にして唱えますが
    あまり、手印を用いず 右手の人差し指と中指を刀に見立て、左手を鞘とし、見立てた刀を左手で握り、左の腰に当てます。
    腰を少し落として構え、
    右手で作った指2本の刀をおもむろに抜き
    まず上から下に振り下ろし(臨)と叫び
    右から左に 真横に空を切り(兵)と叫び
    さらに上から下に振り下ろし(闘)と叫び
    また、右から左に真横に空を切り(者)と叫ぶ
    これらの動作を繰り返し、九字を1文字ずつ叫び終わるとその刀に見立てた指2本を鞘に見立てた左手に納める。
    イメージとしては 同じ所を切り裂くでも構いませんが、切り裂く場所は 綺麗な格子模様を作る感じで 縦5本 横4本のラインを
    描くように行うのが良いとされています。
    この動作を
    【早九字:はやくじ】と言います。
    滝行や、洞窟行を行う前に
    早九字を行う行者は
    テレビ等でも よく見られます。

    真言密教は修験道との結び付きがとても
    深く、日本真言宗の開祖 弘法大師空海も
    また山間を分け入り、
    修行を行った経験が多くありますので
    実際にこの九字の出自そのものはよく分かりませんが 空海や最澄がお山を開く前には
    伝わっていたとする説もあります。

    真言宗は京都の東寺(教王護国寺)を総本山に
    したので【東密:とうみつ】と呼ばれ
    対して、比叡山を開山し修行の場とした
    最澄率いる天台宗は【台密:たいみつ】
    と呼ばれました。
    東蜜に伝わる九字は前述の通り
    臨兵闘者皆陣烈在前
    になりますが
    台密に伝わる九字は少し違い、
    臨兵闘者皆陣列前行
    《臨む兵、闘う者、皆、陣に列して、
    前を行く》というのが伝わります。
    しかし、東密も台密も九字使われ方や
    用途はかなり酷似しており、
    ほぼ同じ意味として捉えられている特徴が
    あります。 どちらも出自は
    明らかになっていませんが、現在も
    受け継がれるものとして、
    用いられています。いずれも
    早九字で行うより、1文字ずつを唱える際
    それぞれの手印を結んで集中
    させて行います。 九字印(くじいん)と
    呼ばれています。
    その形もそれぞれに意味があり
    映画やドラマなどで行われるものの
    ほとんどは、この九字印であると言えます。
    最も有名な九字でしょうかね?
    なぜ忍者が九字を用いたかは次回に
    お話するとして、

    さらにこれらの九字に属さない九字が
    陰陽道には伝わります。
    あまり知られてませんが式神を
    使役する時に用いるものであると
    言われていて、
    青龍:せいりゅう、白虎:びゃっこ、
    朱雀:すざく、玄武:げんぶの四聖獣
    勾陳:こうちん、帝台:ていだい、
    文王:ぶんおう、三台:さんだい、
    王女:おうじょ の神の名を唱えて
    律令によって従わせます。
    意味合いとしては全く異なるようです。

    修験道や真言宗、天台宗で行われる
    九字は 悪しきものや災いを遠ざけると
    いう意味が込められていますが
    厳密にはそれらから守られるというより
    自分の身をそれら悪しきものや災いから
    見えなくする。 異なる階層へ身を
    移すという意味合いが込められています。
    まあ、本来はそう言われているとは申せ、
    実際に行う修験者や修行僧が
    そこまで理解を必要としてたかどうかは別の
    お話ですから
    「唱えれば危険は遠ざかる。」が
    「九字を行えば 身は守られる。」に
    なって定着したとしても 何ら不思議は
    ないと言ったところでしょうか?

    とまあ、、、ここまでが次回のお話の為の
    長めの前フリになってしまいますが
    あっそうなんだ と思っていただければ
    嬉しいです。

    それでは!次回お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/12/06

    神使のお話②

    第44回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は前回に引き続き【神使】の
    お話です。
    前回は、【狛犬】【狐】のお話でした。

    では早速、、、、
    【狸(犬)】を祀る習慣は割と珍しいとされていますが、1993年に公開された
    アニメ映画で一気に知名度が全国に広まり、
    有名になりました。(平成狸合戦ぽんぽこ)
    狸を神使として捉えるのではなく
    神そのものとして
    祀っている神社の方が多いようです。
    柳森神社(やなもりじんじゃ:東京)は
    狸を神使として扱っていますね。
    日本三名狸を祀る場所として
    団三郎狸を祀る
    新潟佐渡の二ツ岩大明神
    芝右衛門狸を祀る
    兵庫淡路の芝右衛門大明神
    屋島太三郎狸
    (屋島の禿狸:はげだぬき)を祀る
    香川屋島の蓑山大明神
    (ここは神使も狸ですね。)
    そして、忘れてならない
    江戸時代に起こったと言われる。
    阿波国(徳島)の狸合戦の
    主人公の金長狸(きんちょうたぬき)の名をとって 金長狸合戦とも呼ばれています。
    (前述のアニメ映画のモデルになった
    お話で明治から戦中にかけて講談、
    昭和初期には映画化もされ人気を
    博しました。)
    徳島県小松島市にある金長大明神に
    正一位の神として祀られています。
    その他にも、隠神刑部(刑部狸)などの
    化け狸にまつわるお話も高松にあり、
    四国に狸伝承が集中しているようです。
    狸の人気は凄まじいですね。

    続きまして 【牛】を神使にしているのは、
    代表的な場所として、
    天満宮が挙げられます。
    主祭神は菅原道真
    有能さを引き立てられ右大臣にまで
    上り詰めましたが妬みを原因とした
    いわれの無い左遷の憂き目に合って
    左遷先である大宰府にて横死し、
    後に日本を代表する祟り神として
    畏れられた方です。 死後に正一位太政大臣
    を贈られましたが、畏れられた為に
    魂を慰撫するということも含めて
    神格化されました。

    彼の亡骸は彼の遺言の通り
    牛車によって京へ向かい その牛車が
    立ち止まった場所に葬って欲しいという
    故事から 現在の北野天満宮と
    なっています。
    このエピソードから天満宮の神使は【牛】
    となっているようです。

    さらに他の神使として
    【鹿】は春日大社、鹿島明神
    【烏】は渚宮神社、
    (現在の熊野三所大神宮)、厳島神社
    【蛇】は出雲大社(海蛇)、
    大神神社(おおみわ)、諏訪神社(白蛇)
    弁財天宮など
    【兎】は鳥取県にある白兎神社(はくと)
    住吉大社、岡崎神社、調神社など
    【虎】朝護孫子寺
    【鳩】八幡宮
    【蜂】二荒山神社
    【亀】松尾大社
    【蟹】金刀比羅宮
    【鰻】三嶋大社
    【猿】日吉大社、浅間神社
    【鶴】諏訪大社
    【鷲】気比神宮
    【鶏】伊勢神宮、熱田神宮、石上神宮
    【狼】武蔵御嶽神社、三峯神社
    【鯉】大前神社
    【猪】護王神社、和気神社
    【百足】毘沙門天宮
    などなど、、、

    例外として、
    修験道の始祖、
    神変大菩薩:役小角(えんのおづの)行者は
    前鬼と後鬼を使役していたと伝わります。
    さらに安倍晴明は、
    式神を日常的に使役していたと
    言われています。
    神使とは違いますが 伝説とはいえ
    常人離れした能力ですし、
    この2人は神格化されて
    それぞれを祀る神社が存在します。

    かなり駆け足で やりましたが
    神使は奥が深いですね。。。
    楽しんで頂けましたでしょうか?
    それでは次回 お会いしましょう。

    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/12/05

    神使のお話①

    第43回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は【神使】のお話を
    させていただきます。
    神使とは?
    そのまんま 神の使いという意味です。
    日本神道における神使は 神獣に等しく
    それは逸話や伝承によって記された特に
    関わりの深い動物が神格化されたのでは
    無いかと思います。

    日本に於いて 最もよく目にするのは
    【狛犬】ですかね?
    その他にも【狐】、【狸(犬)】、【蛇】
    【兎】、【牛】、【鳥】、、、
    例えあげれば キリがないですね。

    では、狛犬が定番化した理由ですが
    そもそも狛犬は犬だけがモデルに
    なったわけでは無いということを
    踏まえて申せば 狛犬は日本独自の
    霊獣として扱われているそうです。

    もとは獅子をモデルとした像を魔よけとして
    一対で置いていたと言われ

    起源はペルシャやインドにあり、
    スフィンクスを起源とする
    という説もあります。
    飛鳥時代に伝わりました。
    その頃は左右に獅子として鎮座させていたと
    言われていますが、当然日本に獅子は
    居ませんから、より想像や空想、そして
    日本独自の解釈が加えられ
    現在の形になりました。
    バリエーションも豊富で
    左右に獅子 右に獅子左に狛犬
    右に有角狛犬(雄) 左に無角狛犬(雌)
    左右同じ狛犬などなどを鎮座させている
    ようです。 厳密な決まりがあるという
    訳ではなさそうです。

    続いて狐を祀っている理由は
    狐を神使としているから 主に京都の
    伏見稲荷神社を総本社とする稲荷系の
    神社が門前に狐を祀っています。
    稲荷大社の主祭神は
    【宇迦之御魂神:うかのみたま】
    五穀豊穣などを司る神様で伊勢神宮の外宮に
    祀られていることでも知られている
    【豊受大神:とようけのおおかみ】が
    居られますが、こちらの神使は【鼠】
    伊勢神宮は皇家や国家の為の社という
    意味合いがあり、内宮のアマテラスの神聖を保つため(アマテラスの食事など)に
    外宮が置かれている為、普通の神社とは少し立ち位置が異なります。
    そのため、伏見稲荷大社を民のために造営し【宇迦之御魂神】を祀るとする説があり、
    また、神使を狐としているため、
    同じ狐を眷属としている荼枳尼天:ダキニと
    習合され、同一視される事もあります。

    ちなみに、、、狐に油揚げを備える習慣は
    狐の色が似てるから説や
    関西のいなり寿司の形は狐の耳から
    来て三角にするから説などがありますが
    狐自身が肉食寄りの雑食動物で
    本来 油揚げを好みませんが
    神前に肉を日常に備えるのも
    衛生面や習慣として薄いため 油揚げに定着したと言われていますね。

    このシリーズ、、、次回に回します。
    1回では さすがに書ききれません。
    (´。・д人)シクシク…

    では、また次回をお楽しみに!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/12/04

    水のお話。

    第42回目の投稿です。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は【水】についてのお話を
    させていただきます。

    陰陽五行に於いて【水】とは?
    大河や雨水に例えられ、
    物静かで聡明な気質であると言われて、
    かつ、大胆な行動、自由な感性と発想力
    を併せ持つとされています。
    優しさや愛情に溢れる癒し系で
    冬という季節を表し、方角は北、
    金より生じ、火に強く、土に弱い
    また、合理的で左脳派 分析に長けるという特徴もあります。

    社交性を司る気質とも言われています。
    これらは陰陽五行に於いての【水】
    の特徴てすが、

    蛇や龍などにも 縁が強く、
    とても、クレバーな一面と神秘的な
    一面を併せ持ちます。

    水そのものには 決まった形はなく
    冷やし固めて氷となれば話は別ですが、
    水は 高きところから低きに流れるべきもの
    ではありますが、その習性を利用し、
    水車や または、加熱加圧することによって
    水蒸気として利用することを確立して
    我々は上手に共存してきたという部分は
    【火】との共通した部分です。

    しかし、抗えなくなる程の水によって
    街ひとつが飲み込まれたり
    場合によっては 人の命を脅かすもの
    でもあり、水害と言ったりします。

    【火】しかり、【水】しかり、
    甘くみてしまうと 人として
    飛んでもないダメージを
    与えられてしまう力を
    秘めたものという捉え方を
    無視できません。

    火同様に 人の営みには
    必須のもので 体のほとんどは
    やはり水で出来ているという見方も
    出来ます。

    綺麗な水を取り込むということは
    綺麗な体を作るということに等しい
    と言えますが やはり侮れない。
    水にも致死量が存在しますし、
    水中毒で命を落としてしまうケースも
    少なくありません。

    上手く付き合う必要はありますが
    同時に敬い恐れることと
    表裏一体なんだと 実感していただくのが
    やはり、ちょうど良いでしょう。

    今回は ここまでです。
    また次回 お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/12/03

    余裕を持つ という事

    第41回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回はいつもと少し趣向を変えて
    【余裕】についてお話をしようと思います。

    余裕とは、そもそもなんでしょう?
    ゆとり、余った気持ち と
    いう意味を指す言葉ですが、
    これを意識して持つと
    いうことは案外難しいですね。

    金銭的な余裕だけを指す訳でも
    ないとは言え、金銭的に余裕があるに
    越したことはないですし
    日々の中で余裕らしいものを上げるとすれば
    色々とあると思っています。

    無意識にそうしてしまうのも含めて
    花を見て安らぎを得ることや
    月を愛でる余裕もそうですね。
    風情や風流に触れるのはとても効果的な
    余裕の在り方だと言えます。

    自信がないと自覚できるなら
    そもそも、なぜ自覚した場所から
    動けなくなるのか? 余裕がないから?
    そもそも自信を持たない や
    持てない理由に縛られてしまってるから?

    何と比べて?誰と比べて?
    色々と考えて 自信を持つことを恐れたり
    諦めてしまうんでしょうか?

    ならば より自然な状態に身を置くことから
    始めてみてはいかがですか?
    あれしちゃダメ これしちゃいけない
    こう考えてしまう自分を責めるなどなど
    縛り付けることは 自然から最も遠い
    考えであると 捉えていただくのが
    最良です。

    より自然に身を置くならば
    まず、自分自身を認めることが大事
    全てを認められなくても
    認められる部分があれば
    その部分をもっと認めること
    自分の全てを好きになることが
    難しいなら 好きな部分だけを
    トコトン見つめ直すこと
    そうすることで
    自分を認められるようになる。
    少なくとも 認めようと動ける。
    自分だけを否定することに
    意味が無いという事に気づいたのと
    同じことが起こるんです。

    余裕が出たと自覚出来れば
    自信となって現れる。
    余裕もないのに 自覚した振りをしても
    自信となって現れません。
    それは 自信があるふりをしてるだけに
    過ぎません。
    まずは余裕を持つ
    腹が減ってるなら 腹を満たせば
    その時だけ少しは余裕となります。
    ネガティブな自分だけを
    受け入れる事ができるなら
    ポジティブな自分も受け入れられます。

    対極にありそうな状態ですが
    実はそうじゃなくて
    表裏一体の位置にあると言うのが正解
    開き直ることでそうなれるなら
    開き直ったっていいんですよ。

    むしろ逃げることで守られるものが
    あるならば
    逃げたっていい

    逃げちゃダメ 開き直っちゃダメ
    と言い聞かせる必要がそもそも
    ないんです。

    もっと自分とむきあいましょう。
    そして、もっと自分に優しく
    過ごされるように 心がけるだけで
    余裕と呼ばれる状態に近くなると
    思います。
    無理を重ねて 全てを失うことを
    恐れるよりも
    失うことを受け入れて考えてみる事
    遠回りでも 全てが潰れることは
    避けられます。

    冷静になるということは
    きっとこういう事を指しているんだと
    言えますね。

    今回は こんな話でした!
    また 次回お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/12/02

    五感 のお話

    第40回目の投稿でございます!
    ハイ!ゴコウですよ!
    よろしくお願いします。

    今回は《五感》のお話をしようと思います。

    五感とは? 視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚
    この5つの感覚を指して言う総称ですね。
    個体差はありますが どれもが皆
    年齢によって衰えやすい感覚だと
    言われています。 反面
    鍛えればそれなりの効果が
    発揮される物でもありますね。

    職人と言われる方のほとんどが
    そういった部分を研鑽し、努力し
    より精度の高いものを
    作り上げるのでしょうね。

    例えば、指先の感覚だけで
    真円に近づける金属加工の職人とか
    (機械なんかには任せてられねぇ)
    火の色で温度を見極める刀鍛冶とか
    シェフなども 勘と経験が培われたからこそ
    五感を駆使して感動を与える料理を
    その手で作り上げることが出来ると
    思います。

    特に嗅覚や味覚は鍛えると 喜びが大きいと
    言われる特殊な感覚で
    複雑な味付けを理解するのも させるのも
    双方の味覚がしっかりして初めてそうなれる
    と言われる感覚ですし、
    嗅覚もまた、味覚の効果を高めることが多い
    感覚です。
    特に香りは癒しや安らぎを与える効果が
    あるのものが多いと言われていますが
    そもそも、嗅覚に異常があると
    その効果は期待できない訳です。

    香道と嗅覚は まさしく一蓮托生と
    言える関係では無いでしょうか?

    どの感覚も 鍛えられるというのが
    とても素晴らしく
    日々に喜びを与えてくれる感覚も
    また 鍛える事で その喜びが増すと
    考えると
    いっちょ鍛えてみっか!
    となっていただければ 嬉しいです。

    今回はこのへんで!
    また次回 お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/12/01

    禅問答アラカルト

    第39回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです!
    よろしくお願いします。

    今回は《禅問答》についてのお話を
    させていただきます。

    皆さんは《禅問答》をご存知ですか?
    いわゆる なぞなぞや とんち合戦の
    親玉というか、仏教を起源とした教えに
    そった設問という立ち位置にあるもので、
    言うなれば Q&Aみたいなものです。
    そもさん!と言われれば、
    せっぱ!と答えて 論破しなきゃ行けない
    問答という感じですかね。

    禅問答とは禅宗の僧侶が
    悟りを開くために行う問答を指す
    仏教用語ですが
    日常では意味がだいぶ異なり
    「話が噛み合わない状態」を
    表す慣用句としても使われていますね。
    どちらも正解です。

    例えば
    「大海に魚あり その姿は苦もなく
    骨もなく、またヒレもない とは
    これ如何に?」
    なんだと思いますか?
    答えは《口》になるんですが
    魚という漢字から 苦(く)もなく
    骨(十)もなく ヒレ(,、、、)もない
    となれば 最後に残るのは
    《口(くち)》である。
    となります。

    このような なぞなぞのような問題から
    もっと難解で複雑な問答まで
    様々あり、それを問われたら
    考える間もなく答える必要がある場面は
    かなり多いといわれています。

    1人の僧が
    「旗が動いている」と言った。
    もう1人の僧は
    「風が動いているのだ」と言った。
    2人は僧はそれぞれの意見を譲らず
    争い出した。 それを見ていた高僧は
    2人の僧に
    「旗が動いたのでも、風が動いたのでもなく
    2人の心が動いたのだ」と諭した。

    この問答はかなり有名な問答ですね。
    他にも、
    「立てぬ的 引かぬ弓にて放つ矢は、
    当たらざりけど 外れざりけり」と言った話や
    四無量心などもかなり有名で奥の深い
    問答です。

    ほかにも禅問答の考案集なども
    書籍でありますので 興味を持たれた方は
    一読の価値があると思います。
    超オススメです。

    こういったものに触れると
    心が落ち着くようなので
    是非機会があれば どうぞ!

    ふ、、、ふかいな!
    と感じていただければ
    もっけの幸いです。

    また次回お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/11/30

    火のお話。

    第38回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウですよ!
    よろしくお願いします。

    今回は【火】をテーマにお話をします。
    陰陽五行説に於ける火とは
    季節としての夏 方角としての南
    時間としての正午
    人生においては転換期を超え
    覚悟や情熱を以て自らの選択に
    自信を持って挑戦し証明する時期を指し
    また、水の属性に弱く、
    木の属性から生じ、金の属性に強い
    これらの特徴を兼ね備えた
    古代中国におけるとても重要な五大元素の
    ひとつです。 というのは、あくまでも
    五行説にそった火の捉え方です。

    人類は火と出会ったことによって
    それまでの生活が激変するくらいの
    力を手に入れました。
    まず、暗闇を克服できた事
    そして、加熱を利用して
    調理に使ったり、土と水を
    混ぜて形作ったものを焼いて
    つくる焼成を割と早い段階で
    見つけていた訳です。
    (縄文式土器などをみれば 乾かすだけのものよりも より強靭で、より繊細で
    、より軽く作れるようになりました。)
    さらに火の習性を学び 時には失敗しながら
    人は常に火と共にありました。

    日本の神様や仏様にも 火と馴染み深い方が多くおられます。
    また、火そのものをご神体や本尊として
    扱っている場所も いくつもあります。

    特に有名な所では
    天台宗の総本山である 比叡山延暦寺
    の根本中堂内陣に
    【不滅の法灯:ふめつのほうとう】
    と言われる火があります。
    日本天台宗の開祖 最澄が788年に
    この火を灯してから 現在に置いても
    絶やされることなく、守られている火です。
    油断大敵の語源になったとも伝わる
    特別な火といえるでしょう。

    ちなみに この不滅の法灯 山形県の立石寺という場所に1543年に分灯した後
    1571年に信長の手によって比叡山延暦寺が
    焼き討ちされた時 1度灯りが消えたんですが
    立石寺のご好意により、
    また不滅の法灯が復活しました。
    現在も この故事に習い
    延暦寺と立石寺では
    分灯式が毎年行われています。

    真言宗においても
    火は煩悩を焼き払い浄化させる象徴として
    切っても切れないものとして扱われ、
    護摩供養や護摩行と呼ばれる儀式には
    欠かせないです。

    その護摩行のルーツとなったインド発祥の
    宗教がゾロアスター教(拝火教)と
    呼ばれるものが特に有名ですね。
    そのゾロアスター教の原型も
    やはり、自然信仰から端を発していると
    言われています。

    火を理解し、熟知し、恐れ、敬い
    コントロールし切れなくなることも
    ありますが、火から与えられた物として
    絶大な影響や恩恵を人は享受しています。

    日本神道においても ホノカグツチや
    竈神(かまどがみ・三方荒神)
    沖縄のヒヌカン
    古代ヒンドゥー教における アグニ
    は仏教に吸収され火天となりました。
    不動明王もまた 火を使う護摩行には欠かせません。(不動護摩:ふどうごま)
    ギリシャ神話のプロメテウスなども
    知名度の高い火の神の1人です。

    このように、人にとって火は
    特別な道具として
    古来より扱われていますね。

    突然の山火事も その当時では
    防ぎようのない厄災のひとつに数えられ
    たはずですから、頼みの綱は 火の神を
    信じて願いを込めて 拝するというのが
    火=火の神として扱われたきっかけなんだと
    思います。

    時代が経過して そもそもの物を
    燃えにくくしたり(難燃性素材や不燃性素材)
    水をかけて消せるようになったのは 明治後期でそれまでは あの手この手で屋敷ごとを
    壊して燃える範囲をコントロールし
    延焼を防ぐという火消し方法が
    主流でしたね。 少なくとも現在は
    ありとあらゆる消火方法や
    予防策を巡らしても
    火事や山火事は 予測がとても難しいものですから 完全には克服できません。
    それでも 火の特性や特徴を知ることで
    より、扱いやすく
    また、より安全に使えるようには
    なります。 人と火は決して
    切り離せないものとして 捉えて頂くのが
    相応しいと思います。

    あっ、、、またいつもと同じく
    長くなってしまいました。
    これに懲りず また読んでいただけると
    嬉しいです。
    (長く書くことには懲りる前に慣れてしまったようです。 すいません。)
    では!次回お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/11/29

    心と体のお話

    第37回目の投稿です。
    ハイ!ゴコウです!
    よろしくお願いします。

    今回は【心と体】についてを
    テーマにお話をしようと思います。

    先日、とあるお店での事
    マフラーをしてセーターを着た若い女性を見かけました。 その女性は、
    ストロベリーフラペチーノを飲みながら
    颯爽と街中に歩んでいかれたんですが
    ひとつ気になることが、、、
    なんと その女性が着ていたセーターは
    身丈がとても短く しかも
    お腹が出てたんです。

    この時に 感じたことは、、、
    【オシャレって我慢なんだなぁ】と
    言うこと、、、暑いのか寒いのか
    よく分からないんですが
    その出で立ちで自信に
    満ち溢れて見えました。
    むしろ余裕すら感じました。

    一瞬でも気を抜けば
    どうなるのかな?とか
    不思議な感覚に
    陥るんじゃないか?とか
    色々考えて 1人で賞賛を
    その女性に贈っていました。
    (心の中で)

    流行り廃りというものには
    疎い世代ではありますが
    やはり、これが私なんだ!
    という意志の強さが垣間見えると
    人は魅力的に映るということを
    実感した瞬間でもあると言えます。

    つまり、意志の強さが
    季節の変化を凌駕するという事を
    目の当たりにしたということ。。。

    【心頭滅却 火もまた涼しい】という言葉が
    あるんですが たとえば
    燃えている炭の上を
    裸足で歩くという修行がありまして
    止まらずに無心で早足で歩き切れば
    ほぼ火傷はしない。という
    理屈があるにはありますが
    頭でわかっていても
    それでも怖いものは怖いし 熱いものは熱い
    知識がありますから
    これをどう克服するか?
    自分の意志の強さだけで 渡るしかない。
    この時 心と体になにが
    何が起こっているんでしょうね?
    気になるところです。

    先程はオシャレの為に
    根性を出してオシャレをしている女性
    そして、火の中を早足で歩く修行者
    きっと根っこは違えど
    着地点が同じと言えるほどの
    共通項が多くあると言えます。

    どの時点で吹っ切るか
    どのタイミングでそれが出来る自分が
    出来上がるのか。。。面白いですね。

    まあ、覚悟次第という感じです。
    つまり、恋愛においても 仕事に置いても
    自覚がないまま 覚悟が出来ないまま
    先に進むのは ハイリスクでしかない
    と言えます。
    その覚悟ができないならば
    動くべきではないし
    まず動くことが出来ない
    無理に動いても
    無理に動かざる得ない場面に遭遇しても
    心が納得出来ないと 体に変調を
    きたしたりします。
    ここでいちばん良くないのは
    心を無視しないこと

    逆を言えば 心に忠実になることで
    とても凄い力が発揮されることも
    多くあるんです。

    というお話でした!

    楽しんでいただけましたでしょうか?
    また次回お会いしましょう。

    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/11/28

    言霊とは?

    第36回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです!
    よろしくお願いします。

    今回は【言霊:ことだま】についてのお話を
    させて頂こうと思います。

    そもそも、言霊とは?
    言葉そのものに宿る力と言うのがいいかな?
    言葉を声にすることによって発揮される不思議な霊験という事になるんでしょうか?
    詳しく定義するのは極めて難しいですね。

    意識、無意識に関わらず、
    思いが乗っかった言葉の魔力という捉え方もあります。

    例えば、無意識に口を突いた言葉が
    現実に起こってしまうこともやはり、
    言霊の力なのかも知れません。

    ネガティブ発言をした後とか
    怖いですね。
    人の悪口や陰口も、巡り巡って
    悪口を言われた人の元に伝わってたり
    噂話などもその典型だと思います。

    神事や仏事でも言葉や言霊を重用していると
    言われます。
    神社などの祝詞や、口上、
    お寺でしたら、お経や、真言、題目なども
    やはり、書いてあるだけでもありがたい物と
    捉えられるものでも やはり、声にすると
    より、特別な思いが加わるのでは
    ないでしょうか?

    それは、日常の言葉もおなじように
    作用すると考えられます。
    好きな相手に対して 秘めた気持ちを
    抱えていることも とても大事ですが
    伝えないままで、相手が察知してくれる
    ことをひたすらに期待するより

    【好き】という言葉自体が持つ力を
    利用されることをオススメしたいです。

    重要なのは【好き】という気持ちを
    伝えることの重要性 この言葉自体が持つ
    とてつもない力を皆さんはご存知のはず
    いわゆる、パワーワードに他なりません。

    恥ずかしさ紛れで 他の言葉を足したり
    するよりも、よほど力を発揮することが
    多いといえます。

    好きなんだけど、、、ともじもじするより
    好き の方が強く伝わる。 という事かな?

    そして、目的は順序立てて伝える。
    これはとても大事

    好きです!付き合ってください

    この言葉自体は常套句のように使われる
    イメージがありますが よく見てください。
    【好きです!】+【付き合ってください!】
    は二重に相手に伝えているという事
    つまり、今すぐ答えて!
    みたいに伝わってます。
    むしろ ここまで言うと力が強すぎて
    断られやすくなるんです。

    せめて、相手を好きになっている期間と
    同じくらいの期間を
    与えるくらいの覚悟と余裕があった方がいい

    つまり、まずは
    【好き】が伝われば大成功という感覚

    付き合うかどうかは相手の都合もあるんで
    即答を貰う方が少し乱暴かなと言うことを
    肝において告白に挑むべきです。

    好きかどうか分からない相手に
    告白された上に 付き合って欲しいと
    いきなり言われて、
    うん と答えなきゃいけない
    雰囲気を作られると うん と答えにくくなる
    という心理 逆の立場なら 理解しやすいと
    思います。

    付き合うかどうかは
    それこそ 時間をかけて判断してもらう
    あるいは 判断するのが
    本来自然に近いです。

    余程のことがない限り
    時間はかかればかかるほど
    状況は良くなることの方が多くあり、
    時間をかけて 【好き】を
    相手に伝え続ければ 意識される頻度も
    高くなるので とても オススメです。

    言霊の使い方って
    とてもシンプルなんですよ。
    文字が産まれる前から
    想いを伝えてきたのは声ですから
    感情が綺麗に乗った声や言葉に
    特別な力が宿っても
    なんの不思議もないというお話でした!

    楽しんでいただけましたでしょうか?
    また次回お会いしましょう。

    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/11/27

    犬のお話です。

    第35回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は《犬》のお話です。
    やはり、犬好きの方多いですよね。
    歴史的に見ても 猫よりも古くからの
    人の相棒と言うイメージがあります。

    おとぎ話や童話にもよく登場します。
    南総里見八犬伝なんていう日本の
    ファンタジー小説にも登場しましたね。
    (作者は滝沢馬琴 日本で最初の著作家)
    桃太郎や花咲かじいさんに登場する犬も
    またすごく有名です。

    それほど身近に人によりそう愛らしい存在といえば、やはり猫よりも犬のほうが
    圧倒的な支持を得そうです。

    人の役に立つ存在としても
    取りざたされています。
    猟犬、牧羊犬、救助犬、介助犬、
    警察犬、例えあげれば キリがないです。

    これほどまでに人と密接な繋がりを
    持つ犬という存在ですが
    この存在が国益を著しく損なわせた時代が
    日本でもありました。

    世に悪政と名高い《生類憐みの令》です。
    まあ、犬限定で大事に
    された訳では無いんですが、
    とりわけ犬の存在が幕政を傾けた事実が
    あります。

    まず、生類憐みの令とは?
    徳川幕府五代将軍 徳川綱吉(つなよし)公は
    一説によると
    自分の母親の病気治癒の祈祷の際の
    生涯を生類に憐れみをかける
    という願掛けから母親が無事生還を
    果たしたので快くした綱吉公は
    生類憐みの令を公布したと言われています。

    内容としてはもっと複雑で
    綱吉公はそれまでの徳川家康の血を
    色濃く残した将軍と違い、
    外戚からの将軍として
    迎え入れられた経緯があります。
    つまり、彼の本当の意味での理解者は
    幕閣の中には居ないところからの
    スタートというとんでもない状態でした。
    彼はそれまでの将軍と違い
    聡明で博識、美意識や造詣も深く
    また、儒教をとてもよく理解し
    実践を旨とする 天才肌の気質が
    彼を将軍にまで昇らせてしまった要因に
    なりました。

    つまり、生類憐みの令は
    儒教から端を発した法令と
    いう事になります。
    馬を生け捕るな から 犬を叩くな
    鰻を店で出すななどなど
    江戸の庶民は 辟易してしまうほどの
    徹底ぶりでした。

    その中でも野犬が江戸中に
    蔓延ってしまうと言う事態を
    招いてしまいます。
    駆除も出来ない、追い出すことも出来ない
    そこらかしこで増えてしまえば
    被害は拡大するとの事で
    幕府は野犬を収容する施設を作りますが
    とうぜんその施設も間に合わず
    施設自体を拡張するしかない
    土地を召し上げ拡大に次ぐ拡大で
    野犬にかかる餌代や管理代、時には医療費
    最初はすべて幕府御用金が
    使われていましたが とてもじゃないけど
    全く足りない
    施設を作った大工に支払う金すら
    幕府にはありません。

    税金を徴収してても 拡張を繰り返しても
    野犬に吸い上げられて 生産性は
    全く見いだせなくなり 破綻寸前にまで
    幕府や江戸の町は
    追い込まれていたそうです。

    綱吉公が御遺言で
    《生類憐みの令だけは
    子々孫々と受け継いで言って欲しい》と
    遺し黄泉路に入っていきましたが

    江戸幕府としては、即刻 生類憐みの令廃止
    を断行、江戸幕府断絶は免れましたが
    やはりそのおかげて幕府の財政は壊滅的だったと言われます。

    この時 当時は隠棲されていましたが
    前の副将軍 水戸光圀公は 綱吉に
    犬のなめし革を数十枚送りつけて
    諭そうとしたというエピソードが
    ありますね。

    綱吉公も人に恵まれず
    また時代にも翻弄された将軍で
    彼の時代に 赤穂事件が起こりましたし
    儒教に縋りたくなる気持ちも
    分からなくは無いです。

    これほどまでに 歴史の表舞台に登場する
    《犬》の魅力とは凄まじいですね。
    空海を高野山に連れて行ったのも
    白犬でしたし、桃太郎のお供の犬も
    おそらくは白い犬で描かれていますね。
    つまり、神の使いという存在にまで
    昇華されていると見て まず間違いない
    と思います。

    同じような動物で対極にあるのが
    狼かな?忌み嫌われ 恐れられた
    イメージが強く残る一方で
    日本では絶滅にまで
    追いやられてますから、、、
    やはり、オオカミより人の本気の方が
    怖いと思います。個人的にはですが、、、

    神社の鳥居の近くにいる狛犬も
    実は 犬と付いてますが
    モデルはおそらく獅子に近い
    幻獣の類であると言われています。
    しかし、犬と名前につけた理由も
    神の従順な使い という意味と
    人に対して従順な行動を好む犬に
    なぞられたという説が最も有効です。

    犬のお話 いかがでしたか?
    楽しんでいただけましたら
    とても僕が喜びます。

    それでは 次回お会いしましょう。
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/11/26

    猫のお話です。

    第34回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は《猫》をテーマに
    お話しようと思います。

    古来より犬や猫は人ととても近い環境で
    生息する動物 飼われる動物というイメージががあります。 同じぐらいの歴史があると言われますが、その気質ゆえか、
    犬の方が若干猫より古く親しまれた
    と言われます。

    犬派、猫派、とよく言われているのを
    見聞きしますが、両方好きは好きでも
    強いて言うなら という方も
    多くおられるでしょう。
    まあ、僕がそうですからww

    犬は集団を好む性質があり、
    先祖が狼であると言われます。
    その血を濃く受け継ぐ犬種とかも
    かなり多い(ボルゾイ、ハスキー犬など)

    猫は犬と違い、基本は個人主義ですから
    気まぐれです。 習慣にも寄りますが
    猫が集まる場面は遭遇率が低いと
    されています。

    かつて古代エジプトの遺跡から
    とても猫を可愛がっていたと思われる
    遺物が発見されました。
    約4000年前の猫のミイラなんですが
    王家や貴族に可愛がられたのでしょうか?
    とても手間をかけて、防腐処理が施され
    座った形のままの棺に収められているのを
    実際に見たことがあります。
    なにかの儀式のひとつ?それとも
    亡くなった王が愛した猫?
    色々な憶測しか出来ませんが
    とても不思議なミイラでした。
    まさしく、猫可愛がり ここに極まれり
    といった印象を覚えました。

    実際に古代エジプト神話の中に
    猫の姿をした神様がいますから
    まったくの無関係では無いと思います。
    《天空の女神 バステト(バスト)》
    エジプトの神様は動物の姿をした神様は
    割と多くいますが犬かジャッカルの
    顔を持つ ミイラの守護神アヌビスや
    トキの顔を持つ知恵の神トトなど、、、
    妊娠を決める権限を持つセベクは
    ワニの頭を持ってますね。
    アヌビスは犬の神とも言われますが
    猫の神様 バステト然り、、、
    とても愛されて神格化されたんだろうなぁ
    と思ってしまいます。

    話は変わりますが 中世ヨーロッパでは
    クロネコが不吉のシンボルとして
    忌み嫌われている文化があり、
    悪魔の化身や、魔女の使い魔として
    クロネコが良くクローズアップされます。
    例えば
    クロネコが道を横切ったら
    事故を起こすとか とにかく不吉なんだと
    言われていますね。
    まあ、猫好きからすれば へぇ くらいにしか
    響かないんですけど

    それは日本も例外ではなく
    そのままクロネコは不吉という雰囲気が
    ヨーロッパから伝わったまま
    残しています。
    おそらくは ヨーロッパの書籍を
    翻訳する過程で広まった
    比較的新しい文化だと言われています。

    しかし!本来はまるで違う文化が
    日本には根付いています。

    皆さんご存知の《招き猫》
    様々なバリエーションがある
    とても愛らしい置物で
    商売繁盛 千客万来 という意味を持たせたり
    右足と左足 上げている足で意味が違うとか
    色々な招き猫が世の中を席巻していますが

    じつは、この招き猫のモデルとなった猫は
    実在していまして、それはそれは見事な
    【クロネコ】だったそうです。

    黒=不吉 というイメージは
    欧米文化に根強く
    本来 日本の色の概念から申せば
    白=死に直結する色だと言われています。
    むしろ結婚式などで使われる衣装で
    新郎新婦の白が好まれるのも
    割と近年になってからだと言われています。
    たしかに 僕の親の世代では
    派手な金糸の刺繍のはいった
    目に鮮やかな赤色の衣装《和装》
    であった記憶があります。
    割合として 白を基調とした衣装は
    少なかったはず

    礼服も黒が未だに主流ですし
    やはり、黒にダークなイメージは
    本来の日本の発想には
    あまり見られない。

    すなわち、黒猫が忌み嫌われる土壌が
    そもそも日本には存在しないと
    言えます。

    まあ、猫好きの観点から申せば
    どんな色の猫も、、、可愛い
    ということに尽きますねww

    猫好きのゴコウでしたw
    今日はこの辺で!
    次回お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/11/25

    法具アラカルト

    第33回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウですよ!

    今回は《法具》についてお話を
    させていただきます。
    そもそも法具とは??
    仏教の儀式などで使われる。
    専用の道具の総称と言えばいいかな?

    用途も様々ですし、種類もすごくあります。
    特に今回は三鈷杵(さんこしょ)と言うものに
    焦点を当てたいと思います。

    とはいえ、、、三鈷杵てなんぞや?
    仏教、特に言えば密教で使われる物で、
    大きいものだと 30センチを
    超える物もありますが、
    よく見るもので20センチを
    少し上回るくらいかな?
    修法:しゅうほう と呼ばれる儀式に
    用いるもので、金剛杵:こんごうしょ
    (金剛はダイヤモンドの事)と言うものを
    指します。 その金剛杵の種類として
    独鈷杵(どっこしょ)、
    三鈷杵(さんこしょ)、
    五鈷杵(ごこしょ) があり、
    槍のように両端が尖っている形を
    しています。
    その槍のような部分が1つなら独鈷杵、
    3つなら三鈷杵、5つなら五鈷杵と呼ばれ
    だいたいはセットで置かれています。
    ここに金剛鈴(五鈷鈴)が含まれます。

    元はインド発祥のもので、しかも
    武器がモチーフになっています。

    儀式の時に手にして自らの
    煩悩を鎮めるために、そして、
    悪しきものを押さえ込むためにという
    意味が込められています。

    さらに法具として、梵鐘、鉦、香炉、
    大徳寺りん(大きいおりん)などなど
    様々ありますが、やはり金剛杵が
    最もそれらしい道具のひとつでは
    ないでしょうか?

    では三鈷杵にまつわるエピソードを
    ご紹介します。
    弘法大師空海が唐から帰国し、京の都に
    東寺(教王護国寺)を建立し、
    天皇の信頼を得ました。
    さらに新たな修行の場所を
    模索してたおりの事

    空海はおもむろに懐にあった
    三鈷杵を力いっぱい投げると
    その三鈷杵は南の方角の空に
    消えていったという逸話があります。

    その出来事から幾日が過ぎ、空海は
    修行の旅のさなかに
    1匹の白い犬と出会いました。
    その犬は、空海を導くかのように
    山中にわけいり、後ろを振り向き
    空海の歩幅に合わせて さらに山中に
    入っていきます。

    すると、山頂付近の開けた場所に出ました。
    そこにある大きい松の下に白い犬は
    座って空海を待っています。

    空海が近づくと その白い犬は消えさり、
    いつぞや自らが投げて空に
    消えていったはずの
    三鈷杵が 松の根元に置かれていました。

    その経緯から 空海は
    その松のあった高野山に開山し、
    高野山金剛峯寺(こうやさん こんごうぶじ)
    を建立しました。

    現在でもその血脈は保たれ、
    荘厳な風景の中に溶け込んでいます。

    さらに その松も、【三鈷の松】と
    呼ばれ、現存します。
    通常の松の葉は二又に分かれてる
    特徴がありますが
    この【三鈷の松】の葉は三又に分かれて
    伸びる特徴があり、三鈷の松の葉を拾うと
    ご利益があるとされています。

    機会があれば ぜひお立ち寄りください。

    今回はこの辺で!
    次回お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/11/23

    参拝?参詣?どう違う?

    第32回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウですよ!
    よろしくお願いします。

    今回は《参拝》《参詣》のお話を
    させていただきます。
    まず、このふたつの言葉の違いですが
    お寺や、お墓に赴く時に使うのが《参拝》
    神社に赴く時に使うのが《参詣》と
    使い分けられてると思いますが
    実は少し違いますね。

    厳密には 参る 詣る どちらも (まいる)と
    読みます。
    参る はお寺やお墓に手を合わせる事を
    指します。 行く の謙譲語ですね。
    詣る は神社や神様や神棚に向かう時に
    使われる言葉となります。

    では、参拝 と 参詣 になると
    少し趣が異なります。
    寺社仏閣にて、手を合わせることを
    参拝と言います。 お寺やお墓 神社や神様に
    向き合って心を通じさせる行為を指します。

    参詣は、 必ずしも拝むという行為が
    なくとも 鳥居や山門をくぐるった事を
    指す言葉が参詣と言います。

    まあ、近しい言葉ですから
    混同されてしまわれても 問題は
    全くありません。

    参り拝む で参拝 神仏どちらにでも使えます。
    参り詣でる で参詣 寺や神社 こちらも
    どちらにでも使えるが 拝む必要が
    含まれないという事ですね。

    では、参拝の作法です。
    神社や神様と向き合う時 まず、
    神様に日頃の感謝を込めてお賽銭を投げ入れ
    鉦(鈴)を鳴らします。
    そして、姿勢を正して、二礼し
    二拍 柏手を打ちます。
    そして最後に 一礼します。
    ちなみに
    お願い事をされたい方は このタイミングで
    唱えられる方が居られますが
    基本的に 感謝を伝えに参って拝む
    場所なので、お願い事は
    絵馬に書いて奉納するか、祈願の依頼を
    される事をおすすめいたします。
    その願いがかなった時に 改めて
    お礼を言いに参拝されるのが
    良いとされています。

    続いて お寺やお墓への参拝の作法として
    まず、お賽銭を投げ入れます。
    (お寺の場合、賽銭は修行の一環として
    我欲を捨て去ることに由来しています。
    つまり、お布施に該当します。)
    そして、鉦(鈴)を鳴らし、
    姿勢を正して 静かに両手を
    合わせ拝みます。
    お寺の場合やお墓の場合
    この時に願いを心に思うのは良しと
    されています。

    神社とお寺ではこれだけの違いが
    現れるんですね。
    僕も気をつけよっと、、、。

    ちなみに 例外として
    神社の作法として 二礼二拍手一礼 が基本
    とお話しましたが、
    二礼四拍一礼を旨とする神社もあります。
    1つは、島根 出雲大社(いずものおおやしろ)
    もう1つは、大分 宇佐神宮(うさじんぐう)
    僕が知る限りでは この2箇所は
    二礼二拍手一礼ではなく
    二礼四拍手一礼でした。
    どちらの関係者の方に詳しく
    聞いてみたところ どちらも
    そういう風習は昔からありますが
    あまり気にされなくていい
    との事でした。

    ようは 来られた方の気持ちが1番大事
    と言うことだそうです。

    今回は 参拝と参詣のお話でございました!
    では 次回 お会いしましょう。

    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/23

    手水場(ちょうずば)とは?

    第31回目の投稿でございます!
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は【手水場:ちょうずば】のお話を
    したいと思います。
    手水?なにそれ?と思われる方も
    多いでしょう。昨今はコロナの影響もあり、
    手水場の使用を止めている所や
    利用を控える方も多いはずです。

    そもそも手水場とは、寺社仏閣の門の横や
    拝殿や本殿の前の鳥居の横にある
    龍の口から水が湧いているアレです。

    神前、または、仏前に進み出る前の
    身を清める場所であると言えますね。

    作法としてはまず、柄杓(ひしゃく)を取り、
    適切な場所(龍の口からとは限らない)から
    水を取ります。
    気にならなければ、
    溜まり水からすくい上げても構いません。

    その柄杓の水で左手、右手を清め、新たに水を取り、右の掌、あるいは左の掌に
    水を注ぎ
    その掌に注がれた水で口を清めます。

    口の中の水は場所によっては飲用に適さない場所もあるので、注意しましょう。
    ここで、しっかりと口を
    すすぐ必要も無いので、
    口に含むふりでも構いません。

    最後、口に含んだ水を
    (フリでも演じ切りましょう。)
    吐き出す時、周りに飛び散らぬように
    注意を払いつつ 口に手を添えて隠し、
    出来るだけ低い位置で優しく
    地面の砂利の上に
    (大体は 手水場の周りに砂利が
    敷き詰めてあります。)
    に吐き出しましょう。

    最後にもう一度柄杓で水をすくい上げ
    水の入った柄杓を立てて
    柄杓の持ち手を清めて 元のあった場所に
    収めます。 ここまでが手水の作法です。

    あまり乱暴に扱って柄杓を壊すなどは
    当然以ての外ですし、口中の水が他の人に
    かかるのも大変失礼で不衛生なので
    そうならないよう注意を払いましょう。

    手水場はとても清浄な場所とされていますが
    私語は控えると言ったことは
    気にされる必要はありません。しかし
    あくまでも多くの方が使われる場所なので
    自分自身も見られているという事を
    心に留めおき かっこよく手水を終えれば
    とてもスマートに見えます。

    さて、この手水ですが、
    手水場が必ずあるとも限りませんし、
    コロナの影響で、利用出来なくなっている
    寺社仏閣も増えていますから
    そんな時の裏技をご伝授します。

    これは神社やお寺 どちらでも使えますので
    覚えておくと良いでしょう。

    ヒントは大相撲
    相撲の取り組みを行う前に
    東西の力士が 土俵の縁に
    しゃがんで(蹲踞:そんきょと言います。)
    大きく両手を広げて 目の前で手を打つのを
    見たことはありませんか?

    闘う前の儀式にほかなりません。
    それを行う意図は卑怯な振る舞いはない
    武器は身につけてないという 身の潔白を
    示すために行う
    柏手(かしわで)という行為です。
    そして、その手を打った後両手を
    軽く揉むことを
    塵手水:ちりちょうず と言います。
    ある種の潔斎(けっさい・みそぎ)の行為と
    されています。

    つまり、手水場を使いたくない あるいは
    手水場そのものが使用不可な場合
    立った姿勢のままで構わないので
    大きく両手を広げて
    正中線(立った状態の体の中心にある線)
    を意識し、
    柏手を大きく一つ打ち、
    打った手を軽く揉みましょう。
    (この揉む時が塵手水です。)

    これをやられちゃ 神様や仏様も
    納得するしかないと言った感じの
    空気になれば成功です。

    まあ、慣れるまではあまり綺麗に
    音はなりませんし、
    下手な打ち方すると手が痛いんですが
    少し練習すると綺麗に音が鳴るように
    なるはず!綺麗な柏手や塵手水は
    やったほうはとても気持ちいいです。
    感覚的には(おっ通った!)みたいな感覚に
    なると思ってますww
    それを見た方は なぜか
    気持ちが落ち着くんです。

    ぜひ!スマートな手水を行うことを
    おすすめいたします!

    次回お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ
    セニョール&セニョリータ

    投稿日:2022/11/22

    日本酒のお話

    第30回目の投稿でございます!
    ハイ!ゴコウですよ!
    よろしくお願いします。

    今回は、記念?すべき30回目の
    投稿にちなみまして!
    【日本酒】の話をさせていただきます。

    日本におけるお酒の歴史はとても古く
    一説によりますと世界の醸造酒の中でも
    トップ10に入るほどの歴史が
    あると言われており、
    魏志倭人伝に倭国では酒を飲んでいる。
    と書かれているそうです。
    最古の歴史として
    紀元前4800年頃には飲まれていたという
    説はありますがあまり支持されていません。

    1位はビール2位はワインだそうですが
    こちらも諸説があり
    説によって 入れ替わります。

    遺跡や遺構から見つかった痕跡によりますと
    日本酒の原型は【口噛み酒】であると
    言われています。
    炊いたご飯を口中で唾液と混ぜて
    瓶に吐き出します。すると
    唾液に含まれる酵素の働きででんぷん質を
    糖化させ、さらに発酵が進むと
    糖分はアルコールと
    炭酸ガスに分解されます。

    この理屈を理解していたとは思いませんが
    利用して酒が作られたという事実が凄い!

    また現在の日本酒を作る時にも欠かせない
    コウジカビ(米麹)も
    実はうっかり見つかりました。

    とある神社に供物として
    差し出されたご飯が古くなる度に
    捨てるのは忍びないと 取り置いていたら
    コウジカビが繁殖していた
    というのが発見のエピソードらしく
    いくつもの条件が幾重にも折り重なって
    コウジカビが見つかったわけです。

    コウジカビの出現で
    日本のお酒は 色々な所で広まります。
    同時に 米や大豆との組み合わせも
    抜群で 味噌や醤油の発見にも一役
    買いました。

    いくら古びて白いカビが
    生えてたとしても神様に捧げたありがたい
    食べ物ですから、、、捨てるよりは
    食べてしまおう という発想
    食べたら なんとも美味しい!
    という事 この時の酒の形状は
    固形だったみたいです。
    その固形物を水に混ぜたり 試行錯誤して
    液体になっていきます。

    その途中過程で出来たのが濁酒と書いて
    【どぶろく】という酒(すでに幻の酒)に
    なります。

    このどぶろくが これまた
    日本全国を席巻します。

    そんな中、、、奈良市内に今もある
    真言宗 正暦寺にて
    (しんごんしゅうしょうれきじ)
    というお寺で
    室町時代のある日 いつものように
    般若湯作りをしていて
    ちなみに般若湯(はんにゃとう)とは
    お酒を指す言葉で
    仏門に入った僧侶は 酒や魚や肉を
    口にすることは許されないという決まり
    があるので、鮎を笹の葉、酒を般若湯と
    言って楽しんでいました。
    この般若湯は 恐らくどぶろくの事

    そのどぶろくを仕込むと 正暦寺の
    般若湯は 他とは違うという評判になり
    ほかのものに比べても、味、風味、甘みに
    置いても段違いに上手いと言われました。

    酒造りを生業にしている人達から
    その酒を分けて欲しいと言われたり、
    どうやら正暦寺には
    秘密があると言われたり、
    実際に般若湯を
    作るところを見せてくれと言う人が
    後を絶ちませんでした。

    ならばということで何人かの蔵人を
    招いて酒造りを見せたところ
    酒がうまい理由は水でも米でもなく
    作り方そのものにはなんの変哲も
    ありませんでしたが、正暦寺では
    作った般若湯を小さい祠で寝かせると
    言う特徴がありました。

    土産に作った般若湯を蔵人に持たせ
    とある蔵人が自分たちで作った酒に
    正暦寺の般若湯を
    少し入れて寝かせると
    正暦寺の般若湯に遠く及ばないまでも
    今まで作ってきた酒とは比べ物に
    ならないほど味が向上していました。

    つまり、正暦寺の祠にある酵母(酒母)が
    酒造りにとても大きく関わって
    いたということが分かりました。
    この正暦寺の酵母を【菩提酛:ぼだいもと】
    と言い、現在も受け継がれています。
    これが日本で最初の日本酒と
    言われています。
    さらに、正暦寺は仕込み方の工夫や研鑽を
    重ね、日本清酒発祥の地であるとも
    言われており、
    それを示す石碑もありますが、
    同じく日本清酒発祥の地と言われる
    兵庫県伊丹市にも清酒発祥の石碑が
    あります。

    伊丹市いわく、それまでの日本酒は
    甘く濃厚な酒という特徴があり、
    伊丹で開発したのは木炭を用いて濾過を
    行う製法で スッキリとした辛口になる事に
    成功したという事のようで

    現代におけるイメージ通りの日本酒の
    発祥としては 間違ってないとの
    事です。

    まあ、色々ありますね。

    日本酒は古来より
    神事に欠かせないもの一つで、
    とにかく日本の神様はお酒が大好きなご様子
    江戸時代から明治にかけて
    日本酒(清酒)は買って飲むが
    どぶろく(濁酒)なら作れるという方多く、
    自家製で作る人も多くいたそうですが
    現在は酒税法があるので
    厳密には 違法で、
    密造酒の扱いになります。

    しかし、例外はありまして、
    神事で行う儀式に欠かせないから
    という理由で どぶろく製造を
    認められた蔵がいくつかあり、
    東北地方のどぶろく特区という場所か
    認められた蔵でしか、
    販売することも出来なくなりました。

    そのどぶろく造りを許された蔵は
    5箇所くらいしかないと言われてます。
    そのうちの3つの蔵が
    奈良に集中しているのも面白い現象です。
    奈良県御所市にある
    千代酒造(ちよしゅぞう)
    同じく奈良県御所市にある
    葛城酒造(かつらぎしゅぞう)
    奈良県香芝市にある
    大倉本家(おおくらほんけ)

    機会があれば
    お取り寄せして、ぜひ
    ご堪能くださいませ。

    今日は なぜか 日本酒の
    お話でした!!

    それでは次回お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)b

    投稿日:2022/11/21

    色のお話

    第29回目の投稿です!
    ハイ!ゴコウでございます。
    よろしくお願いします。

    今回は【色】についてのお話です。
    日本において【色】の歴史はかなり古く
    西暦600年代の
    飛鳥時代に色にまつわる有名な
    法律が制定されました。
    【冠位十二階】ですね。
    【冠位十二階】とは?
    官職の位を色で表す法律で
    徳、仁、礼、信、義、智の6つを
    大小で分け、
    大徳、小徳、大仁、小仁、大礼、小礼
    大信、小信、大義、小義、大智、小智
    と表しました。
    大徳:濃紫、小徳:薄紫
    大仁:濃青、小仁:薄青
    大礼:濃赤、小礼:薄赤
    大信:濃黄、小信:薄黄
    大義:濃白、小義:薄白
    大智:濃黒、小智:薄黒
    このように冠の色を分けて
    識別できるようにしていたそうです。
    この色がなぜ選ばれたと言うのも
    諸説ありますが、
    一説には、陰陽五行説に則ったもので
    特に紫を高貴な色、特別な色として
    扱っていた唐の国に倣ったものであると
    言われています。
    約1400年前に考案された法律ですが
    色の多様性や実質的な染色技術として
    単純に凄いことだと思います。

    仏教に至っても その色の
    価値懇は生かされ、
    金色の刺繍や紫色といった僧衣は
    特別なものであったらしく
    江戸時代初期に起こった事件が有名です。
    当時の天皇 第108代 後水尾天皇が
    大徳寺への感謝を表す意味で
    紫色の僧衣を下賜しようとした時
    江戸幕府がそれまでに作った法律
    【禁中並公家諸法度:
    きんちゅうならびにくげしょはっと】
    に違反しているという事で
    紫色の僧衣の下賜を
    一方的に取り消しにしました。
    その経緯から幕府に直接抗議した
    沢庵宗彭(沢庵和尚)を流罪にしてしまった
    事件を【紫衣事件】と言います。
    要は、それまで武家はあくまでも、
    公家や天皇家を武力で守る立場、かつ、
    あくまでも天皇の一臣下という
    立場でしたが、
    江戸幕府は、法律を制定し、その法律も
    武家士族や、より下の人民に対して
    だけではなく、(武家諸法度など)
    天皇家、藤原摂関家などの貴族に対しても
    新たに法律を定めました。
    (禁中並公家諸法度)
    つまり、名実ともに日本のトップが
    征夷大将軍、ひいては江戸幕府だと
    言う立場をあからさまにしたという事で
    その状態を浮き彫りにしたのが
    紫衣事件だと言えます。
    もう少し詳しく申せば
    天皇家がいつも使ってる紫は
    徳川将軍家も紫を使っていたいので
    天皇家は使っちゃダメよ
    っていう内容なんです。
    (それくらい 色に対する執着が
    あったのか、単なる嫌がらせなのか、、、)

    流罪になってしまった
    沢庵宗彭(沢庵和尚)は罪を赦されて
    戻っては来ますが、まあ 偉いとばっちりを
    被ったと思ってたでしょうね。

    話はそこで終わらず
    事件の中心になってしまった
    後水尾天皇は
    徳川家康の孫を側室に迎えていて
    徳川将軍家と天皇家は
    姻戚関係にあり、その間に生まれる男子が
    後の天皇にと徳川将軍家からは
    大きく期待されていましたが
    当時、後水尾天皇と
    徳川家出身の妃の間には姫(女一宮)
    しか居らず
    その紫衣事件を境に、後水尾天皇は
    徳川将軍家と距離を置くようになった挙句
    突然、徳川家康の曾孫にあたる我が娘・
    女一宮に禅譲(天皇の位を譲る事)しました。
    娘・女一宮を第109代 明正天皇に即位し
    自らを上皇としました。

    つまり、女一宮が女性天皇として即位
    してしまった場合、
    婚姻関係が結べなくなるので、
    徳川将軍家の血筋が天皇家には
    残せなくなるという状態になる事を見越した
    後水尾天皇の反抗であったと
    言われています。

    つまり、後水尾天皇は 徳川将軍家に
    リベンジを果たした!ということです。

    事の発端が紫という色が原因ですから
    とんでもない話ですよね。

    ちなみに、日本の色の概念として
    一つ一つに花言葉のような意味を含ませて
    いるという考えもあり、
    (詳しくはよく知りませんが)
    紫の色の意味として【成仏】を現すと
    昔読んだ漫画に書いてました。
    (地獄先生〇~べぇ の
    ムラサキババアの話だったかな??)

    今の時代こそ、文字の読み書きは
    日本の場合、かなり優秀だそうですが
    昔の日本は、文盲率としてかなり
    高い時代が長く続いていました。
    文字の読み書きできる人が高札などを
    読み聞かせていたり協力しながら生活は
    出来ていたと思われます。
    しかし、
    難しいお経や書物を
    読み聞かせるのはやはり難しいので
    ヴィジュアル的に分かりやすく
    仏像を作ったり、その仏像も金色にしたり
    極楽浄土の意味合いを表すために
    本堂の中や仏具などに
    金色を多様したり、
    (なぜか極楽浄土は、
    ありとあらゆる物が金色)
    般若心経の1文字ずつを色で表したり
    とにかく 色を使って工夫を凝らしました。

    色の使い方としては 日本はとても
    高く評価されていて、浮世絵なども
    多くの芸術家からの尊敬を集めました。
    日本独自の文化として 【色】は
    非常に重要な位置にあると
    言えるでしょう。

    と、、、また長々と書いてしまいました!
    楽しんで頂けましたでしょうか?

    そう期待して!
    次回お会いしましょう!
    アディオス!!( -`ω-)bアミーゴ!

    投稿日:2022/11/20

    「呪」とは?

    第28回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウでございます。
    よろしくお願いします。

    今回は「呪」についてのお話です。
    漢字のお話の時に少し話しましたが
    もう少し詳しくお話しましょう。

    まず、「呪」ですが
    本来は(シュ)と読むのが正しい
    ジュ、のろい、まじない とも
    読めるんですが1文字だけで読むなら
    濁らずに(シュ)と
    読むべきであるそうです。

    日本に限らず「呪」は善し悪しは
    ともかく、とても身近で
    生活の中にまで浸透しているものと言う
    見方もあります。

    例えば、縁起を担ぐ や
    ジンクス(おまじない)という物や
    人によってはルーティンもそれに
    該当します。
    (靴は右から履くや
    朝は必ず これを行うなど)

    最も身近な「呪(咒とも書きますね)」は
    【名前】という概念もあります。
    それは人に限らずですが
    例えば、その人の下の名前や苗字を
    大きい声で唱えれば ある程度の人は
    たいてい返事をします。
    まあ、呼ばれたから返事をする。
    ごく当たり前な行動ですが
    つまり、【返事をさせるための呪文】
    という見方が出来ます。

    そう考えると、この返事をさせるための呪文は【最も身近で最も効果的で言語の枠に囚われない最強の呪文(名前を知ればという事)】
    と言えるのかも知れません。

    さらに、名前は人の思いも蓄積させる効果があり、使いようによっては
    様々な効果があります。

    例えば、相手の名前を知ることで
    優しく唱えれば 欲しいものが
    手に入ることもあるでしょうし
    (お水系の方の得意とすると言ったところ)
    威圧的に唱えれば
    同格以下の人を萎縮させる事もあります。
    (特に親が子に行うとか)
    まあ、慣れてしまうまでの話に
    はなりますが、やり方によっては
    強いトラウマを名を呼んだ相手に
    植え付けることも可能です。
    (言葉の暴力 や パワハラ に
    該当するかもですが・・・)

    そして、人以外とも書きましたが
    つまり、ペットに名前をつける
    というのも【ごく当たり前な行為】ですが
    ペット側からしてみれば
    支配力や影響力を強められることに
    他ならないという見方もあります。

    逆に、刑務所や少年院の中では
    受刑者を名前ではなく
    受刑者番号で呼ばれるようになる。
    というのもよく聞く話ですが
    管理しやすくなるという効果も
    期待してという側面もあるにはあります。

    一方で、そうすることで、
    刑務官の職務として
    名前を呼ばないことを徹底することで
    刑務官が受刑者に必要以上な関心を
    持たせないと言うのも
    含まれているようです。
    (だからと言って、
    【受刑者は罪人ではあるが
    人ではない】という発想には
    繋がりません。
    しかし、稀にそういう感覚に陥って
    問題を起こす事件もあるようです。)
    これは、あえて名前を呼ばない例

    ほかにも、命が無いものに名前を
    付けることもよくある話で
    単なる石に名前をつけると
    その石が信仰の対象になったりすることも
    あるから不思議

    例えば、道端に人がつまづくには
    ちょうど良い大きさの石があったとします。
    誰からもその道からも排除されずに
    その石はそこにあると仮定して
    その石には日に何度か人がつまづくと
    言うことが何年も続いた場合

    その周辺の人々は あの石は なんの変哲も
    無いのに 良くつまづくんだよ という話
    が周辺を巡り同調し、いつの頃からか
    その石には 【つまづき石】とか
    【つまづき様】とか 名前が
    付けられたりすると、その石を祀る社や祠を
    新調する人も現れたりして、
    さらにそれ自体が年月を重ねた場合
    その名前の付いた石に人々の思いが
    重なり、神格化されてしまうという事

    まあ、ここまで極端な話は
    聞いたことありませんが
    ありえない話とも言えないです。

    実際に有り得る話をすると
    神仏の形を象った石像、木像に限らず
    その姿に見える石や景色も
    名前がついてしまうとやはり
    人は動いてしまうんです。

    信仰の対象だけにとどまらず
    観光名所になったりも含めて
    名前の無いの物や景色より
    名称のある方が そうなりやすい不思議

    その名に縛られるという見方もあります。

    神頼みや信仰に寄ることも
    ある種の呪術であると前にもうしましたが
    それは、医療も例外ではなかった。
    日本の場合として、
    特に医療の発達が未熟な時代、
    呪術が医療の最先端であった
    時代がありました。
    熱や腫れ物も
    祈祷や呪術で治そうとしていた
    時代がありました。
    【現在においても 名残はあります。
    ボケ封じや、かんの虫封じなどなど】

    アフリカや南米の少数民族と呼ばれる人達の中でも呪術で怪我や病気を治せると
    考えるケースが多くあります。

    科学的な効果に対して
    なんの証明も出来ないですが
    効果はないと言い切ることもまた難しい。
    (効果のない薬に効果があると処方して
    その効果を実証させた例もあります。
    たとえば
    【プラセボ効果】が代表的な効果です。)

    悪習にも【呪】の影響が現れています。
    例えば アフリカのとある国では
    未だに、先天的に体の色素が
    欠乏している人
    (俗に言うアルビナ)の
    肉は万病が治ると信じられている
    国があります。
    (文化として否定は出来ませんが
    倫理としては全否定したいです。)

    この話の出処も呪術的な観点から
    始まった悪習で、色素欠乏(アルビナ)の
    人は集団にいきなり襲われて
    腕を切り落とされたり、攫われたりして
    しまうそうです。
    そして、闇取引されてしまうという事が
    あるそうです。

    つまり、そういう闇取引の需要が
    2022年の
    現在においても存在します。。。

    物事の良い悪いは、置いといて、
    【呪】ってとっても身近でしょ?
    というお話でした!!

    話の着地点間違えた気もしますが
    「まあ、そういう日もあるんだなぁ。」
    くらいの暖かい目で見守って
    やってください!

    では29回でお会いしましょう!
    (*>∀<)ノ))またねー
    アディオス!アミーゴ!
    セニョール&セニョリータ!

    投稿日:2022/11/19

    【見るなの禁】のお話です。

    第27回目でございます。
    ハイ!ゴコウでございます。
    よろしくお願いします。

    今回のテーマ【見るなの禁】とは?
    なんのこっちゃ?と思われる方も
    居られると思いますが
    大して難しい話ではございません。
    見るなよ!見ちゃダメよ!って言われると
    見たくなる心理を【見るなの禁】あるいは、
    【見るなの禁止】と言うそうです。

    おとぎ話によく取りざたされる
    テーマですね。
    「鶴の恩返し」が最もわかりやすい
    お話ではないでしょうか?

    「私が機を織っている間 決して部屋を
    覗いてくださいませぬよう
    伏して、お頼み申します。」
    と釘を刺された老夫婦
    機織り部屋に籠って素晴らしい反物を
    織ってくれるおつうには有難いが
    我が家には それを作る材が
    どこにも無いはず、、、と
    首を傾げる老夫婦

    日に日にやつれていく おつう の事も
    気がかりだし、、、と
    心配が拗れて とうとう部屋を覗いた老夫婦
    そこには1羽の鶴が、我が身の羽根を毟って
    機織りをし反物を作っていた姿があった、、、

    姿を現したおつう こと 前におじいさんに
    助けて貰った鶴が 恩返しに 姿を変えて
    現れたのでした。

    本当の姿を見られたおつうは
    仕上げた 反物をおいて
    悲しげに大空へ帰っていきました。

    とまあ、こんな感じのお話でしたね。

    この【見るなの禁】のお話は
    おとぎ話が出来るはるか昔から
    語り継がれていまして
    古事記にも何度か登場しております。

    男神イザナギが黄泉の国に女神イザナミを
    迎えに行った時の経緯が
    おそらく現存する最古の【見るなの禁】の
    お話になるはずです。
    「黄泉大神に訊ねてみますので その間、
    決して中をのぞいてはいけませんよ。」
    と女神イザナミは男神イザナギに言い、
    男神イザナギも固く誓ったはずなのに
    中を覗いてしまったイザナギは
    朽ちて蛆が湧き変わり果てた
    女神イザナミを見て 「醜い」と
    言い、そのまま逃げ去ってしまった。
    約束を守らなかったばかりか
    暴言を残して逃げる。。。
    とんでもない話ですね。

    同じく古事記より、
    さらに時代は降り、
    アマテラスの孫ニニギの子にあたる
    山幸彦(ホオリ)が美しい海神の姫
    :トヨタマヒメと
    契りを交し、姫の中に子を宿した時の
    お話です。
    かねてより、姫はホオリに
    「もうすぐ産まれるけど、
    私がこの子を産んでいる最中は
    決して産屋を覗いて下さいませぬように」
    と釘をさしていた、ホオリも
    姫を宥めるように その約束を固く誓った。
    産み月が近づく頃 トヨタマヒメ は妹の
    タマヨリヒメを呼び寄せ
    鵜(う)の羽根で茅葺きを施した産屋を
    2人で作っていました。

    すると その鵜の茅葺きが完成しないまま
    産気づいたトヨタマヒメは
    未完成の産屋で我が子を産み落とそうと
    必死でもがいた 。
    その産屋が傾くほどに、、、

    それを遠巻きに見ていたホオリは
    妻の身を案じるあまり 思わず産屋を
    覗いてしまいました。
    すると、産屋狭しと苦しみもがく
    とても大きなサメ(八尋の大鰐)の姿が
    あり、トヨタマヒメの姿はなく、

    呆気に取られてしまったホオリは
    事が収まるのをただ見ているしか
    ありませんでした。

    ようやくの思いで その大きいサメは
    1人の男の子を産み 妹:タマヨリヒメに
    託し、正体を現してしまったことを
    恥じて、そのまま海の中へ
    帰っていき、二度と戻ってきませんでした。

    その時に生まれた赤子の名は
    ウガヤフキアエズといい、
    後に乳母で叔母であった タマヨリヒメと
    契りを交しました。
    初代神武天皇の父親
    つまり皇父にあたる神です。

    【見るなの禁】とは、
    抑えられない衝動の産物という概念と
    約束を違えたあとに必ず失う物の大きさは
    とてつもなく大きいという戒めが
    同時に混在したテーマであると
    言えますね。
    今回は【あーなんとなくわかる】が
    聞こえてきそうな 内容でした!
    また次回お会いしましょう。
    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/18

    コーヒーについてのアラカルト

    第26回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は少し趣向を変えて
    《コーヒー》のお話をさせて
    頂きたいと思います。
    「え?飲み物の?」という声が
    聞こえてきそうですが 占いと
    全く関係ないというお話では
    ないので しばしお待ちを

    コーヒーの原産国はアフリカ大陸
    とくにエチオピア周辺あたりで
    発見されたものだそうです。

    エチオピアではこのコーヒーを
    とても大事に扱い、コーヒー専用の
    儀式まであると言います。
    《コーヒーセレモニー:後述します。》
    コーヒー豆は栽培に高温多湿を好むので
    現在でも赤道に近ければ近いほどよい
    標高が高ければ高いほど良いと言われます。
    コーヒー産出国はそのほとんどが赤道付近に
    集中しており、
    《コーヒーベルト》と呼ばれています。

    ちなみに、我が国はそういった意味では
    コーヒー栽培の適した国ではありません。
    台風や気候の問題など試行錯誤し、
    みごとコーヒーチェリーの
    栽培に成功した例もあります。
    (沖縄の35コーヒーや、小笠原諸島、
    鹿児島県徳之島など)

    主なコーヒー産出国は
    インドネシア、ベトナムなどの東南アジア
    ブラジル、ボリビア、エクアドル、
    コロンビアなどの南米
    ジャマイカ、グアテマラ、コスタリカ
    などの中米
    ハワイでも作られていますね。
    エチオピア、イエメン、タンザニア
    ウガンダなどのアフリカ
    有名無名を問わず やはり
    赤道付近に集中していることを
    示している地図になりそうです。

    前述したコーヒーセレモニーですが
    冠婚葬祭の時に行う習慣があり
    日本の茶道に該当します。
    (カリオモン)と呼ばれるもので
    《カリ》コーヒー《オモン》共に
    仲間と一緒にコーヒーを飲もう!
    みたいな意味になります。

    まず来客されると主人が客の相手をし、
    夫人がカリオモンの手順に従い
    床に花を敷き詰めカップを用意し
    香を焚き染め、その場を清浄にします。
    カリオモン専用の素焼きのポットに
    非常に細かく挽いたコーヒー豆を人数分入れお水を加えて火にかけて煮だします。
    その煮出しコーヒーを
    そのままカップに注ぎ、
    上澄みを飲んで楽しみます。

    この時に使われるコーヒー豆は
    モカ(モカハラ、モカマタリ、
    モカイルガチェフェなど)という
    品種なので
    特に強い酸味が特徴となります。
    さらに煮出しコーヒーですから
    その酸味は強くなるので エチオピアでは、
    塩を少し入れて酸味を和らげて
    飲む習慣もあります。

    最低でも この時のコーヒーは3杯以上
    飲むのが決まりだそうで、
    儀式始まりから終わりまで
    少なくとも3時間くらいは
    かかるとても贅沢な儀式です。

    トルコもコーヒーを好む方が多く
    ターキッシュコーヒーという
    独自の文化を形成してます。
    コーヒー専用の銅製なべ
    (イブリック)に極細挽の
    ハイローストかそれより
    深煎りの豆を入れて
    水からコンロにかけて煮だします。

    その煮出しコーヒー少し落ち着かせて
    漉さずに
    ゆっくりと カップに注ぎ入れます。
    それでも全ての豆を避けるのは
    難しいので 少しの豆ごとカップに
    入ります。

    これも好みですが 少し甘めに
    砂糖をいれて飲むのがトルコの方の好みで
    ミルクを入れたりしても大丈夫

    上澄みを飲むのは
    エチオピアと同じですが
    そこまで気を使わなくても
    美味しく頂けるはず

    飲み終わると カップにソーサー(受け皿)
    を被せて そのまま 皿とカップごと
    ひっくり返してテーブルに置く

    3分くらい待ってから カップだけを
    持ち上げて ソーサーに戻すと
    沈殿した豆がカップの底に
    色々な模様を描きます。

    その様々に現れるコーヒー豆の模様を
    占いの軸にする。《コーヒー占い》と
    言うものが有名です。(トルコではね)

    つまり、コーヒーの歴史として
    そして文化として 人に安らぎと
    美味しさ を与えてくれる
    素晴らしい飲み物ということが
    少しでも伝われば幸いです。

    それでは 第27回でお会いしましょう!
    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/16

    悪魔とは?

    第25回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウですぞ!
    よろしくお願いします。

    今回は《悪魔》についてのお話を
    させて頂きます。
    以前に《天使》のお話を
    させて頂きましたが、対になる話も
    ないとバランスが取れないなぁと
    言う事、、、のようです。

    さて!《悪魔》とは?
    様々な定義はあるんですが
    端的に申せば神の敵に
    位置する存在を指します。

    一神教《キリスト教、ユダヤ教など》
    の側から申せば、
    彼ら一神教の指導者から見れば、
    異国の神々や異教の神(悪神も含め)は
    全て《悪魔》に位置します。

    そして、元を辿れば
    古い悪魔のほとんどは、いずこかの古代の
    神々であったり、天界に住まう元天使に
    他なりません。

    有名どころといえば
    サタン=熾天使ルシファー
    アスモデウス=ゾロアスター教の悪神
    バアル(ベール)=ナーブルスの崇拝神
    ベリアル=天使サナタエル
    ヴァフォメット=イスラム教のマホメット
    アドラメレク=シュメールの太陽神
    ベールぜブブ=エグロンの神バアルゼブル
    アマイモン=天使マハザエル
    アザゼル=天使アシエル
    などなど、、、

    つまり、単に悪から生じたというよりも
    それぞれの歴史があるということが
    伺えます。

    一神教における悪魔とは
    神の敵対者、魔界の住人、
    人を堕落させる者、人を陥れる者、
    人を誘惑する者、人を放蕩させる者
    とっても嫌われてます。

    その価値観は東洋も大差は
    ないようです。例えば
    仏教に《マーラ》と言う悪魔が
    それに該当します。
    半人半蛇で描かれることが多いです。

    変化したり、あれやこれやの手を使って
    ブッダを誘惑しますが
    ブッダはとても強い精神力で
    跳ね除けます。

    そういう妨害を経て悟りを開くのですが
    元は王家でしかも王子ですから
    結婚もしていました。

    妃の名前は アショーダラでしたが
    結婚し子供をもうけた後で
    出家を決意します。
    自分の息子にさえ
    修行の妨げになるという意味から
    ラーフラ(障害)と名付けたり
    ストイックが拗れてしまっていた時代も
    ありましたね。
    (マーラの名を借りた 葛藤に他ならない)

    他にも アシュラ、ダーキニー、
    ハリーティモー、ガネーシャなどなど
    仏教側からみれば インドの神様や悪神も
    全部 ひっくるめて
    悪鬼羅刹(あっきらせつ)です。

    その悪鬼羅刹に仏の顔では
    対抗出来ませんので
    明王という化身となり 時には威圧的に
    時には力ずくで 仏教に帰依(改宗)させ、
    帰依した悪鬼羅刹や神々をまとめて
    天部としました。

    ここが西洋と東洋の違いかな?と
    思いきや 日本神道において
    悪魔と該当するのはやはり、
    天皇が統治する以前から その土地で
    信じられていた土着の神であったり

    同じ出自の神でも敵対すると
    悪神や祟り神として扱われています。
    まあそういう一面も含めて
    信仰の対象とは
    なっていますから 西洋のように
    《悪魔は絶対的な悪》と言う概念は
    日本は薄いかも知れません。

    また、その代わり 妖怪が
    その役を担うはずなのですが
    これまた一概には申せませんが
    妖怪=悪の意識もやはり、
    日本人はかなり薄いですね。
    (一部の妖怪も
    元は土着の神だったりします。)

    きっと 西洋の悪魔のように
    徹底的に一神教に嫌われるような存在が
    日本やアジアには 少ないような
    気がします。

    どちらかと言えば
    共存してる気さえしますね。

    悪魔が正しいとか
    神側が絶対的に正しいとか
    それは双方の立場になれば
    きっとどっちも正しくて誤っている。
    という感じになるはず

    一説には 天界だけでは
    その神秘性、絶対性、必要性は
    際立たないから、当時、
    熾天使であったルシファーは
    自らの意思で堕天し、魔王となり
    魔界を創造し統治した。
    という概念があります。

    立場は明確に正反対ですが
    極論は 天使も悪魔も
    共通項の方が多いですから

    意図的に敵対してるように
    見えませんか?

    はい!今日はここまで!

    楽しんで頂けましたでしょうか?

    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/14

    インドの神様のお話し

    第24回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウですよー!
    よろしくお願いします。

    今回は、《インドの神様》のお話しです。
    少し前に《仏》の話をさせて
    頂いたんですが、その仏教に吸収された神を
    《天部:てんぶ》と言われるのが
    それに該当します。

    インドの歴史も相当古いですから
    その中からヒンドゥー教や
    仏教も生まれていますし
    それらのベースとなるものが
    古代インドの随所に散りばめてたり
    するので その魅力をご紹介します。

    まず、仏教やヒンドゥー教
    が始まるずっと昔に
    古代インドにはバラモン教という教えが
    あり、その内容のほとんどが口伝えで
    伝えられてきました。
    起源は古代アーリア人が信仰していた神で
    ヴェーダ神話と呼ばれるものです。
    (アーユルヴェーダ、リグヴェーダとして
    現在も伝わります。)

    その中に既に居た神様として、
    インドラ(仏:帝釈天)
    ミトラ(平等な契約)
    アリヤマン(ミトラの使徒)
    ヴァルナ(主従の契約)
    アグニ(仏:火天)
    ヴァーユ(仏:風天)
    ルドラ(暴風の神)
    マヤ(仏:摩耶天、閻魔天)
    などなど 原始ヒンドゥーと
    言われるようにヒンドゥー教の神々も
    脇役ながら 登場します。

    ヒンドゥー教となっていく過程で
    ブラフマー(仏:梵天)
    シヴァ(体が紫色で修行僧(苦行者)の
    姿をしています。
    仏:大黒天、大自在天)
    ヴィシュヌ(決まった姿を持たず
    時代の変化と共に現れ救済する神。
    仏:那羅延天)
    この二柱の神を重要視しているのが
    バラモン教との違いです。
    そして、リグ・ヴェーダや
    アーユルヴェーダも用いますが
    叙事詩《マハーバーラタ》や
    《ラーマヤーナ》をさらに重要視します。
    ここで現れた神として、
    ラクシュミー
    (ヴィシュヌの妻 仏:吉祥天)
    パールヴァティー
    (シヴァの妻:大自在天妃)
    ガネーシャ
    (シヴァの息子、象の頭を持つ神
    仏:歓喜天、聖天 )
    ガルーダ
    (ヴィシュヌの乗る鳥。仏:迦楼羅天)
    サラスヴァティ
    (ブラフマーの妻で
    楽器の守護神。仏:弁財天)
    ヴァイシュラバナ
    (神々の守護者 仏:毘沙門天 多聞天(四天王))
    ダーキニー
    (死者の魂を食らう悪鬼 仏:荼枳尼天)
    アスラ
    (悪鬼の王 仏:阿修羅天)
    などなど、、、
    まだまだ書ききれないくらいの
    ヒンドゥーの神様は居られるんですが、

    まあ、釈迦(ブッダ)や阿弥陀(アーミータ)も
    元はインドの王族出身ですから
    当然と言えば当然で
    ヒンドゥー教側から言わせれば
    釈迦は 9つあるヴィシュヌの化身の1つ
    という捉え方をしてますので
    その懐はかなり深いです。

    この様に、仏教と
    ヒンドゥー教(バラモン教)
    の共通する神は かなり多いので
    ○○天と呼ばれる神様は
    ほぼほぼインド出身者である。
    という見方を
    されると ちがった楽しみ方が
    出来ると思います。

    今回は比較的あっさりした感じですが
    また第25回でお会いしましょう。

    アディオス!!( -`ω-)b
    アミーゴ&セニョリータ!
    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/13

    太陽の神様のお話です。

    第23回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウですよ!
    よろしくお願いします。

    今回は『太陽の神』とちょこっとだけ
    『月の神』のお話をしようかと
    思っています。
    『太陽の神』と一言に言っても
    世界各地に色々な『太陽の神』が
    存在します。

    エジプトなんて
    アテン、アティム、アメン、ケプリ
    ホルス、ラー、ハトホル、セクメト、、、
    いくつも太陽があったのか?!
    と言うほど居られます。

    ギリシャなどは
    アポロン、ヘリオス
    などなど、、、
    中国、メキシコ、北欧、ペルシャ
    メソポタミア、リトアニア、フェニキア、
    オーストラリア、ニュージーランド、、、

    インドに至っては、古代ヴェーダ神話と
    ヒンドゥー神話でそれぞれの太陽の神が
    何柱も存在するらしいです。

    我が国でも神道に『太陽の神』が
    存在します。

    天照大神を筆頭に
    天火明命、天之菩卑能命、稚日女尊、
    八咫烏、饒速日命
    それぞれが太陽に縁の深い神様です。

    仏も神に等しいとすると
    仏教に置いて太陽の神といえば
    大日如来、日天、日光菩薩、、、

    太陽が古来よりとても重要視
    されているという
    証拠にほかならないといえますね。

    タロットカードにも太陽は現れます。
    僕が愛用するトート・タロットにも
    『アテュ(大アルカナ)
    XIX.The Sun 太陽』と
    いうカードが
    あります。
    ELEMENTは火
    SecretNameは世界の火の支配者

    カードの意味は 全体性

    ポジティブな意味として
    解放、成功、繁栄、大勝利、
    病の回復(安楽死)

    ネガティブな意味として
    横暴 、自惚れ
    などを表します。
    特にトートタロットは正位置や逆位置が
    存在しないカードなので
    ポジティブとネガティブが同時に
    現れるという特徴があるんですが

    太陽の場合、恩恵や温み、また、
    活力や希望を与えうる存在で
    ムードを和やかにする能力ともいえますが、
    一旦、距離感を誤ると、相手に
    ダメージを与えかねない。
    力が強すぎて 自らもダメージを
    負いかねないというアンバランスな面が
    とても強い存在と説明できます。

    これほどまでに『太陽』を身近に感じ、
    同時に恐れ、敬い、また利用するという
    唯一無二感が半端ない存在も他に類を
    見ないですよね。

    そして、必ず『太陽』に対をなす存在で
    太陽と合間見えず、時として
    美の象徴とも、儚さの象徴とも
    捉えられるのが『月』ひいては
    『月の神』の存在ではないでしょうか?

    太陽神あるところ 必ず月の神の
    存在があると言っても過言では
    無いでしょう。
    しかし、月の神だけを
    主役として扱うということは
    あまり見られない現象もあります。
    例外としてエジプトのホルス神は
    太陽神という顔と月の神という顔を
    同時に併せ持つ ハイブリッドな神様です。
    日本にも月の神様
    『月読命(ツクヨミノミコト)』
    そして、仏教でも日光菩薩が居ますから
    当然『月光菩薩』も居られます。

    日本もエジプトのように他の国とは違う形で
    月読命を主祭神とする神社があります。
    京都市 西京区にある
    月読神社(つきよみじんじゃ)です。
    厳密には 松尾大社の摂社の扱い
    なんですけども、、、

    姉であるアマテラスとは格段に扱いが
    違うと言われそうですが
    事実として そうなってますね。

    しかし、太陽と等しく 月も重要視され
    かつて、日本も月で暦(太陰暦)
    を作っていましたから
    むしろ太陽と同格に扱ってたと言っても
    言い過ぎではないと、、、思います。

    神話でも太陽であるアマテラスと
    ツクヨミが仲を違えたという逸話も
    見られますが、実際 古事記にも日本書紀にもあまりツクヨミは登場しませんね。
    (アマテラス、ツクヨミ、スサノオは
    三貴神なのに、、、)

    まあ、あまりにも月の扱いが低いので
    意図的にそうしてるのかな?という説も
    根強くあります。

    太陽も月も現れる時間はまるで違いますけど
    日食や月食に関しては 絶大な興味や
    莫大な恐れを抱いているという共通項も
    世界各地に存在するのがおもしろい

    それは日本も例外ではなく
    弟スサノオが暴れて 姉アマテラスが
    天岩戸に隠れた神話も日食が軸に
    なっていると言われますし、
    また、夜にならないと見えない彗星も
    月の眷属として 恐れられたという文献が
    残ります。

    さらに、太陽と気候の作用で
    時として、日照りや飢饉または、
    台風や地震、噴火などの
    天変地異も 太陽神の怒りであると
    いう究極の落とし所を見出して
    太陽を崇め奉っていたのも
    世界各地の共通項

    時には人の生の心臓を捧げて怒りを沈めたり
    氾濫する川に生きたままの人を
    投げ入れるとか 火をつけて 太陽の神に
    直談判させようとしたり、、、
    今では考えられない儀式や風習が
    ありました。
    それもまた、日本も例外ではないです。

    それほどまでに敬われ、恐れられ
    愛され、憎まれる それら全ての感情を
    一手に引き受けてくれる懐の深さも
    太陽の良さといえるのでは
    無いでしょうか?

    っていう感じで
    今日はこの辺でw

    また第24回で
    お会いしましょう!

    アディオス!アミーゴ&セニョリータ!
    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/12

    取捨選択って大事

    第22回目の投稿です。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は少し占いに寄ったお話です。
    『取捨選択』
    皆さんも日常でいろいろな
    取捨選択を強いられると思います。
    二者択一、三者択一などなど
    ハンバーグにしようか
    エビフライにしようか
    いっその事 メンチカツにしようか
    と言ったような夜ご飯の献立や
    A君にしようか B君にしようか
    と言った恋愛の二者択一まで
    いろいろな取捨選択があります。

    夜の献立は 懐具合や
    冷蔵庫の中身などなど
    色々な情報を駆使して
    時には切りつめ 時には緩めて
    どうせなら 美味しく頂ければ
    あるいは 美味しく召し上がって
    貰いたいわけです。

    不味くとも 身につくんですから
    せめて 美味しいほうが
    体も心も 満たされる気が
    しますよね。

    一方、恋愛の取捨選択は
    少し様子が変わります。
    その状態は 分かりやすく申せば
    どちらを選べば幸せになるか
    というライン
    そして、
    どちらかを必ず切らなきゃ行けないのか
    というライン
    さらに、
    もしかしたら どっちも違うんじゃ?
    というライン

    少なくとも この3つのラインが目の前に
    立ちはだかるわけです。
    詰んだわけじゃないけど
    詰んだ気がする。焦りたくないのに
    焦らなきゃいけない気がする
    まして、独りになりたくない!!
    という感情が徐々に大きくなる。

    この状態は 状況に煽られれば
    煽られるほど 焦りが強くなる
    感情です。
    まさしく!悩み沼に足を取られた!
    と言う感覚です。

    ここまで来ると ああじゃない
    こうじゃない と 延々と悩むか
    時限が来て 向こうの行動に
    自分が流されて 後悔される方も
    少なくありません。

    まずは少し落ち着きましょう。
    何が焦らせてるか?
    誰が焦っているか?
    なぜ焦っているか?
    焦ればどうなるのか?

    むしろ、焦ることで
    何か良い方向に向かうのか?
    それとも、焦ることで
    悪い方向に向かうのではないか?

    例えば、A君(Aさん)とB君(Bさん)で
    迷っていたとします。
    どちらがどれだけどうというのは
    魅力が拮抗(きっこう:同じくらいの力)
    してしまってますから
    この際 横に置いといていいです。

    この場合 比べても 同じところを
    グルグル巡るという現象に
    陥る可能性が高い。
    仮に いずれかに
    傑出(飛び抜けた)した魅力を
    感じていたなら
    きっと迷わないでしょう。

    つまり、選択肢として不完全である。
    という見方が出来るかどうかであると
    言えますね。

    それは A、Bいずれかの情報が
    足りないからなのか
    それとも、彼ら、あるいは彼女らの
    努力、魅力のいずれか もしくは
    そのどちらもが足りてないか
    ということ

    仮に どっちもどっちだ
    と思うならば どっちを選んでも
    同じだけ喜びを得られるし
    同じだけ後悔する可能性もある訳です。

    仮に、占いの鑑定結果として
    よほどの不安要素が現れたとしても
    どちらを選べばいいかの判断を
    占い師ができる立場ではないので
    決めるのは あなたにしか出来ません。

    まずは、今すぐ答えを出す必要が
    本当にあるのか?
    というのも大事ですが
    やはり、A、Bは双方共
    数ある選択肢のひとつでしかない
    という事に気づければ
    とても楽になれるはず

    今すぐに決める必要が薄いなら
    ちゃんと見比べて答えを出せる
    選択肢を用意されるのが
    もっとも安心ではないかと
    言えますね。

    つまり、A、B を含めた
    C、D、E、F...Zまあ、Zは冗談として
    そうすることで
    彼ら(A、B)が焦りを覚えて
    良い変化を遂げるようになる可能性も
    ありますし、むしろ
    とんでもなく焦らなきゃいけない
    場面ではない。と言うことに
    気づくことで
    相手に新たな気づきを
    与えられるはずです。

    まあ、ケースバイケースではありますが
    多くの場合 恋愛において
    二者択一や三者択一で
    悩み沼に陥ってしまった場合

    その選択肢の中に
    いくら正解に近くとも
    正解が必ずその中にあるとは
    限らないということですね。

    より幸せに近づくためのコツと
    言った感じで お話してみました!

    全てがこれに当てはまるとは
    思いませんが
    少しでも 心軽やかに過ごして
    いただけるなら 喜ばしいです。

    では!第23回で
    お会いしましょう!
    アディオス!アミーゴ&
    セニョリータ!!
    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/11

    天使とは??

    第21回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は、予告通り
    『天使』とは?というお話を
    させて頂きたいと思います。

    皆さんは、『天使』に
    どんなイメージをお持ちでしょうか?
    キリスト教に関わる方はある程度
    ご存知だと思いますが、やはり
    とても漠然としたイメージの方が
    多いのではないでしょうか?

    まず、『天使』とは?
    ユダヤ教を母体とする教義において
    (キリスト教、イスラム教を主にして)
    唯一無二の神の近くにあって
    神に直接仕え従う存在
    となっています。

    諸説はありますが、
    その『天使』にも位があるそうで
    熾天使(してんし:セラフィム)
    智天使(ちてんし:ケルビム)
    座天使(ざてんし:スロウンズなど)
    までの上級天使 父の位階

    主天使(しゅてんし:ドミニオンズ)主権
    力天使(りきてんし:ヴァーチューズ)力
    能天使(のうてんし:パワーズなど)能力
    まだの中級天使 子の位階

    権天使(けんてんし:プリンシパリティーズ)
    大天使(だいてんし:アークエンジェルズ)
    天使(てんし:エンジェルス)
    までの下級天使 精霊の位階
    天使の位階はこれら9つある
    と言われています。

    ちなみに、大天使ミカエルとは
    大天使とありますが、実は位として
    ミカエルの兄であり、明けの明星と呼ばれた
    熾天使ルシフェルと同列かその下の
    智天使に位置するとも言われています。

    熾天使ルシフェルとは?
    自らを神に等しいと
    (実際に神は自らに等しい力を与えた。
    とされています。)
    反乱を起こし(失楽園)
    反乱した天使と共に堕天し
    魔界(地獄)を創造しました。

    堕天したルシフェルは
    魔王サタンとなりました。
    という物語は有名ですね。

    有名な天使として
    ガブリエル(処女であった聖母マリアに
    受胎を知らせに来た大天使)
    ミカエル(ルシフェルの弟にして
    四枚の羽根を持つ美しき天使軍団長)
    この2人の天使に崇敬が
    集まっているようですね。

    ここに守護天使の監督を務める
    ラファエルが加わり 三大天使と言われたり
    神の光・神の炎と呼ばれるウリエルを
    加えた四大天使と言われたりします。
    (外典に登場する天使)
    さらにこの四大天使に3人の天使を加えて
    七大天使としている文献も様々ありますが
    文献によってはウリエルが
    登場したりしなかったりもします。

    聖書の場合 実際どれが正しいとされるか
    非常に難しいという側面が
    大きく、聖書(旧約)、新約聖書の2つ
    というイメージが強いと思いますが
    同じ聖書を用いてたとしても
    読む人によって当然解釈が違うという事で
    正典、外典、偽典(偽エノク書など)
    などが多く存在し、
    それは時代の流れによっても
    いまだに増減しているとも
    言われています。

    それらは ユダヤ教に限らず
    キリスト教と一言に言っても
    カトリック系、プロテスタント系
    などなど

    または、同じ経典から派生した
    イスラム教も同じで
    過激な派閥、温和な派閥などなど
    やはり、聖書やコーランというのは
    書物なので読み手の解釈によって
    物事への捉え方もまるで変わってくる。
    読み手次第という現象は現代にも
    大きい影響力を与えています。
    (どちら側にとっても聖戦なんだから
    勝ち負けだけで決まらない争いも多い。)

    しかし、共通項も非常に多く
    『同じ経典から派生した。』を
    裏付けることも容易にできます。

    まず、聖地が同じか
    あるいは、極めて近い

    そして、
    ユダヤ教系、イスラム教系、キリスト教系
    どの宗教にも 天使は登場し、その役割や
    名前までもが被っている
    例えば
    ミカエル(ユダヤやキリスト)が
    ミーカーイール(イスラム)
    いずれも大天使です。

    サマエル(ユダヤやキリスト)
    アズライール(イスラム)
    いずれも死の天使

    他にも類似点や酷似している
    部分は多様にあります。

    堕天した天使の名前なども
    ほぼ丸かぶりだったりします。

    特に イスラム教とキリスト教は
    犬猿の中と言われるほどに
    その相性は良くないように写りますが

    同じ物を目指したふたつの団体があって
    どちらも自分たちの考えが正しいと
    数千年単位で
    培われた思考回路ですから
    自分が正しいは 自分だけが正しい!に
    見えてしまう現象でもありますし
    実際にそうなってます。

    そもそも 折り合うということが
    非常に難しいと思いませんか?
    (近寄らなきゃいいのに、、、
    でも聖地はすごく近いです。)

    犬派猫派論争や
    キノコ派たけのこ派論争に
    似てると思ってしまうのは
    おそらく僕だけでは無い、、、
    と思いたいです。

    しかし!その自らが信じている中身が
    ほぼ丸かぶりだと思えば
    仲良く出来るはずなんですけどねぇ、、、

    様々な天使は色々な場面で
    登場します。
    映画やアニメや漫画やゲーム
    理不尽な天使の顔もあれば
    ただひたすらに
    人に優しい天使も当然います。

    例外として、
    天使の位階、3位の座天使(スロウンズ)は
    熾天使や智天使を乗せて運ぶ
    熾天使、智天使専用の乗り物の事を指す
    と言われています。
    僕は個人的に この座天使の
    気持ちを知ってみたいと
    思いました。。。
    例えるなら
    大統領専用ジェット機
    『エアフォースワン』が
    副長官や報道官より立場が上
    という話ですから

    副長官や報道官は
    納得はしづらいですねw

    色々と話はそれましたが
    『天使』の話は これにて!
    終了~~♪

    22回目でお会いしましょう!
    アディオス!アミーゴ&セニョリータ
    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/10

    日本の神様って?

    第20回目の投稿です!
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    前回は『仏』の話をしたので
    今回は『日本の神様』の話を
    させて頂きたいと思います。

    まず、日本の神様、日本神道の神様と
    いうことなんですが
    正直、数が多すぎて把握しきれません。
    古事記や日本書紀に描かれる神様が
    全てではないらしく、
    まさしく、八百万:やおよろずの神々の
    看板にいつわりなしと言えますね。

    古事記によると
    大きくふたつに分類できます。
    天津神:あまつかみ
    イザナギ・アマテラスを祖とする
    高天原(たかあまがはら)に住まう神々
    国津神:くにつかみ
    イザナミ・スサノオを祖とする
    豊葦原中津国
    (とよあしはらのなかつくに)
    に住まう神々

    それとは別に、最初に現れた三柱の神達
    を造化三神(ぞうかさんしん)
    その後に現れた二柱を合わせて
    別津神(とこつかみ)と言うそうです。

    その後に現れた神々を
    (イザナギ・イザナミ含めて)
    神代七代(かみよななよ)と言うそうです。

    ここまでが日本列島や
    イザナギ・イザナミより
    生まれる神々が産まれるまでの経緯です。
    ヒルコ、淡島から始まった国産み、神産みは
    最後の火の神ホノカグツチが生まれてからも
    イザナミが火傷を負って苦しみ抜く最中にも
    ホノカグツチがイザナギに殺された後にも
    様々な神々が産まれました。

    イザナギとイザナミが決別したあとに
    イザナギは綺麗な泉で黄泉の国の
    穢れを清めた時に
    右目を洗えば アマテラス
    左目を洗えば ツクヨミ
    鼻を濯げは スサノオが生まれたそうで
    この三柱の事を 三貴神:さんきしん と
    呼び、特別な存在として
    扱われます。

    ちなみに、天皇家は現在も
    ここで生まれたアマテラスの
    直系であり、万世一系を保っている
    とされています。
    約2700年続いている
    王朝としては世界最長の王家と
    見なされていますね。

    とまあ、日本神道の神々はほぼ古事記や
    日本書紀に記された時に完成されていると
    言ってもいいでしょう。

    その中でも独自に信仰を集め神仏習合を経て、特別視された神も少なくありません。
    例えば、
    八幡系(応仁天皇の神格化)
    伏見稲荷系(豊受大神と
    荼枳尼天:だきにてん の習合)
    熊野権現系(元はスサノオ信仰から)
    出雲大社・大神神社系
    (国津神の最高峰 大国主・大物主の社)
    日本武尊や、吉備津などの
    古代の英雄を祀る。
    などなど

    さらに、人として特別視され
    神格化されたものもまた多いです。
    崇道天皇系(早良親王の神格化)
    将門系(平将門の神格化)
    天満系(菅原道真の神格化)
    日吉系(豊臣秀吉の神格化)
    東照宮系(徳川家康の神格化)
    南州系(西郷隆盛の神格化)
    他にも、乃木希典や、東郷平八郎と言った
    英雄視された軍人を軍神として祀る神社や
    明治時代以降の戦没者を祀る靖國神社などもあります。

    さらに大陸から渡って来た神様も
    少なくありませんね。
    超有名な例えですが
    布袋、大黒、福禄寿、寿老人、
    恵比寿(もとはヒルコ神)、毘沙門天、技芸天
    はい、七福神です。

    ここに前述した仏も加えると、、、
    とてもじゃないけど把握しきれないほどの
    数になってしまいます。

    こう言った体系を多神教と言うそうです。
    つまり、
    日本は多神教国家と言えるでしょう。
    その対になるのが 一神教と言われます。
    例えば、イスラム教やキリスト教が
    その一神教に当たるそうです。
    実はイスラム教もキリスト教も母体となる
    教義は同じところから派生してたりします。
    共通項も驚くほど多い。

    どちらも一神教なので君臨する神は
    唯一無二の絶対的存在ですが
    その代わりに天使が
    色々な役割を果たします。

    ちなみに天使といって
    イメージする羽根の生えた小さい子が
    弓矢を持って飛びまわるというのは
    実は少し違います。
    弓矢を持った羽根の生えた
    小さい子は クピド(クピト)という存在で
    英語読みすると キューピットになります。
    このクピドは
    ギリシャ神話から来ていますから
    多神教や異国の神を否定する立場にある
    一神教の方々にとっては すこし筋の
    異なる話ということで
    納得はされてないそうです。
    まあ、キューピットは可愛いですけどもw

    天使とは?というお話は
    次回にさせて頂きますね。

    つまり、日本の神様とは?
    『数が多すぎて 把握しきれません。』
    というのが 僕の結論かな?

    今回も楽しんで頂けましたでしょうか?
    それでは、第21回で
    お会いしましょう!

    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/09

    仏って?

    第19回目の投稿でございます。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    前回は『梵字:ぼんじ』でしたが
    今回は『仏』についての
    お話をさせて頂きたいと思います。
    〈なるべく、分かりやすく努めます。〉

    皆さんは、仏:ほとけ について
    どれほどのイメージがあるんでしょう?
    日本は特に、色々な信仰がありますね。
    世界中のありとあらゆる信仰が日本
    あると言っても決して言い過ぎでは
    無いと思います。

    一言に『仏』と言いましても
    宗旨宗派によって異なりますし、
    信心深い深くないに依らず
    日本で1番多く信仰されているのが
    おそらく『仏教』では無いでしょうか?

    お寺と神社についてのお話は
    次回に譲るとしまして、
    まずは、尊称(如来、菩薩、明王、天部)の
    分からないをなんとかいたしましょう。

    如来:にょらい
    心理を理解し悟りを開いて、
    輪廻の因縁(解脱:げだつ)から外れた
    特別な存在
    代表的な如来として
    釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、
    大日如来、弥勒如来(未来仏)、
    毘盧遮那仏(奈良の大仏)
    他にも、(ここは飛ばして見てください。)
    宝生如来、天鼓雷音如来
    阿閦如来、不空成就如来、宝幢如来、
    開敷華王如来、無量寿如来
    割といましたね。

    続いて、明王:みょうおう
    悟りに明るい王という意味で
    如来の化身として、多くは憤怒の表情を
    しており、悪鬼を調伏して帰依させる。
    という意味合いが強いです。
    代表的な明王として、
    不動明王、愛染明王、孔雀明王
    他にも、(ここも飛ばして見てください。)
    大元帥明王、大威徳明王、六字明王、
    軍荼利明王、烏枢沙摩明王、降三世明王、
    金剛夜叉明王、無能勝明王、
    馬頭明王(馬頭観音)、大輪明王、
    大可畏明王、青面金剛明王(庚申信仰)
    はい、ここもかなりのお歴々が
    おられました。
    続きまして、菩薩:ぼさつ(菩提薩埵の略号)
    悟りを開こうと修行のために人々を
    救う立場、兜率天:とそつてん に棲まい
    あらゆる衆生(いきもの)を見守り
    手助けを施す。
    代表的な菩薩として、
    聖観音菩薩(正観音菩薩とも)、勢至菩薩、
    地蔵菩薩、文殊菩薩
    他にも、(ここも、、、以下同文)
    普賢菩薩、日光菩薩、薬王菩薩、薬上菩薩、
    月光菩薩、虚空蔵菩薩、般若菩薩、
    金剛薩埵、転法輪菩薩、龍樹菩薩、
    弥勒菩薩(未来仏)などなど
    聖観音に至って申せば
    正しくは、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)と
    いい、この菩薩は色々な顔があります。
    聖観音、千手観音、十一面観音、馬頭観音、
    不空羂索観音、如意輪観音、准胝観音、
    楊柳観音、白衣観音、三十三観音
    などなど、、、

    それだけ、人々に苦しみの数があった
    あるいは、その中にいるという事の
    現われで、観音は増えたと
    言われています。
    菩薩もおおいなぁ。。。
    続きまして、天部:てんぶ
    天界(六道の1つ:天道)に住まう天神(天人)
    ここに住まう人達も輪廻の一部です。
    元は、ヒンドゥ教の神々が仏教に帰依し
    その名を改めたと言われています。
    多くは民間信仰の対象に多く根付き
    おそらくは、知名度は菩薩や如来を
    凌ぐほどの信仰を集める存在も数多く
    見られます。
    代表的な天部として、
    閻魔天(摩耶天)、帝釈天、梵天、弁財天、
    毘沙門天、吉祥天
    他にも、
    (ここも、、、飛ばしてくださいね。)
    歓喜天(歓喜自在天、聖天)、
    大黒天(大自在天)、
    韋駄天、技芸天(大自在天女)、
    鬼子母神(訶梨帝母)、摩利支天、
    火天、風天、伊舎那天、地天、日天、月天、
    四天王(増長天、多聞天(毘沙門天)、
    持国天、広目天の方位を守る)
    金剛力士、十二神将、十二天、天龍八部衆、
    二十八部衆、妙見菩薩(北辰:北斗七星)
    、、などなど
    ちなみに、阿修羅は天龍八部衆の
    1人として数えられています。

    おそらく、まだまだいます。

    最後に、垂迹神:すいじゃくしん
    本来は本地垂迹:ほんちすいじゃく といい、
    神道の神が衆生を救うために
    仏の身として姿を表したとする
    考え方で、その逆も然り
    仏も衆生を救うべく
    神道の神として姿を現したと
    言ってたりしますが、垂迹という言葉は
    元々、仏教用語なので仏教側からの
    視点で申せば、
    仏教に帰依した天皇家や
    仏教が伝来する以前から信仰を
    集めていた神々が仏教に吸収されて
    新たに神格になったとされる神々です。
    (神仏習合)
    代表的なものとして、
    八幡大菩薩(応神天皇:おうにんてんのう)
    〈僧形の八幡大菩薩もあります。〉
    、青面金剛、春日権現、
    熊野権現、日吉大社、
    市杵島姫命(厳島神社の祭神)、、、
    他にも、(ここも、ぜひ読み飛ばそうね!)
    愛宕権現、秋葉権現、素戔嗚尊、大国主、
    東照大権現、松尾山、国常立神、天照大神、
    etc...はい、書ききれません。

    つまり、日本における仏教は既存の教えを
    否定せずに吸収拡大して行ったと
    考えられますね。

    その当時の時代背景も加味されながら
    例えば、禅宗と一言に申しても、
    臨済宗から始まり、鎌倉期にかけて、
    曹洞宗が起こり、
    黄檗宗の開祖:
    隠元隆琦(いんげんりゅうき)が
    江戸時代初期に来日し、臨済宗の
    一門派:臨済宗 黄檗派として
    数えられていましたが
    幕府に優遇され黄檗宗を
    開いたという歴史があります。
    しかも、このような話は禅宗に限らず、
    日本密教のツートップ
    天台宗や真言宗も何度も衰退を経験し、
    その度に復興し、現在に至ります。
    浄土真宗も、時として、権力者に蹂躙され
    時として、その権力者と真っ向勝負を
    しかけ、その権力者を退け、
    それが尾を引いて 浄土真宗本願寺派(西)と
    真宗大谷派(東)に別れた歴史があります。
    鎌倉時代中期には日蓮という僧侶が
    これまた時の権力者に睨まれ、流罪に
    なりましたが、天皇家に寵愛され
    日蓮大菩薩や立正大師の追号を送られ
    そのおかげで、日本で唯一、
    宗派の呼び名が
    この僧侶の名を冠して伝えられています。
    (キリスト教もイエス・キリストの名前から付いた名称ですね。)

    一言に仏教と言っても
    文化が異なれば
    当然、儀式の種類や手法も
    異なります。
    釈迦だけを唯一無二とする宗派
    阿弥陀仏を本尊としたり、
    真言宗では大日如来や不動明王が
    本尊仏として見なされ
    天台宗では釈迦如来、薬師如来、大日如来、
    阿弥陀如来、観音菩薩etc、、、を
    本尊仏としていますが、、、
    少し混乱してしまいます。
    基本的に法華経を根本経典とする
    教えですから 本尊の概念が曖昧では
    あるようです。

    他にも、
    薬師如来(薬ツボを両手で持つ如来)も
    本尊として奉る寺院(薬師寺、新薬師寺など)
    観音菩薩や地蔵菩薩を本尊とする寺院

    様々な文化や教義が混ざりあって
    また、反発や迫害も乗り越えて
    6世紀半ばの仏教伝来より数えて
    約1400年以上経過していても
    現在にも脈々と継承されて
    続いているのが日本における
    『仏教・仏』という教えですね。

    今日は仏の尊称に付いて
    お話させて頂きましたが

    興味を持っていただければ
    とても嬉しく思います。
    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/08

    《梵字:ぼんじ》とは?

    第18回目の投稿です。
    ハイ!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は、《梵字:ぼんじ》
    についてのお話をしようかと
    思っています。
    (かなりマニアックな話ですが)

    梵字とは?出自としては
    インドから発生した古代文字です。
    現在でも使われてはいますが
    立ち位置としては 日本の
    「仮名(ひらがな・カタカナ)」に近く
    インドは世界一言語が多い国としても
    有名なので、違う言語の人同士での
    コミュニケーションツールとしては
    優秀ではありますが、あまり好んで
    使われなくなったようです。
    インドでは大まかに
    サンスクリット文字と
    呼ばれます。

    そのサンスクリット文字が
    シルクロードを通り、
    ネパールやチベットを経由し
    中国に渡り、仏教のとある宗派が
    開花させました。

    具体的には、サンスクリット文字の
    原型となる文字に当たるんですが
    カローシュティー文字(広義)
    ブラーフミー文字(狭義)
    と言われる文字に別れます。
    カローシュティー文字は
    失伝されてしまってますが
    そちらを現在インドで使われる
    サンスクリット文字とするなら

    ブラーフミー文字が日本の梵字の
    ルーツに当たると言われています。
    ちなみに ブラーフミーとは
    ブラフマン(梵天)を意味します。

    西暦6世紀から7世紀にかけて
    北インドで流行した書体を
    シッダン書体と言いまして
    悉曇書体と書きます。
    (正しくは、悉曇字母書体)
    この書体として、日本に伝わりました。

    これが現在、使われている梵字ですね。

    誰が梵字を持ち込んだか?
    日本の真言宗開祖にして筆名人としても
    名高い 弘法大師 空海(幼名:佐伯 真魚)
    804年に遣唐使船に私費留学生として
    乗り込み、20年の期限のはずが
    唐朝には「資金が底をついた」と言って
    2年後の806年に帰京しました。
    2年の間に 中国真言宗の悉くを吸収した
    ばかりか、中国真言宗から信認を得て
    空海そのものが真言宗であると
    いうお墨付きまで携え、
    真言宗の全てを
    日本に持ち帰った超人です。

    その中に梵字(悉曇文字)はありました。

    真言宗や天台宗と言われる密教は
    特にこの梵字を大切に扱い文字一つ一つに
    意味を持たせ発展させて行く過程をへて
    浄土系や日蓮宗系または、禅宗などの
    宗旨宗派の垣根を越えて
    (密教にたいして 顕教(けんぎょう)と
    言われる宗派にも)
    梵字は広く伝わりました。

    お寺で使う文字=梵字のイメージは
    そのままに、これほど
    梵字を重用している国は
    令和の世にあっても 日本がダントツで
    この悉曇文字の書体や梵字の使い方に
    至るまで 他の国を寄せ付けません。

    梵字とは?
    『一文字一文字に意味をもたせた文字』
    現在に伝わるお経も、本来は全て梵字で
    伝わり、漢字の音に合わせて当て、現在の
    お経の形にしています。
    (当てる漢字にも、意味を当てているのは
    単純にすごい)
    どの宗派でも多く使われる「般若心経」も
    元は「大般若経」と言われる
    経典(全600巻)から厳選した262文字で
    構成されていますね。
    (般若心経は玄奘三蔵(西遊記の主人公)が
    考案しました。)
    一文字そのものや 読む音に
    意味を強く持たせた文字というのは、
    古代文字に多く見られる特徴であると
    言われています。

    なので、寺にまつわる物の
    殆どには梵字があしらわれていると
    言えます。
    梵鐘(お堂の鐘)、墓石、
    卒塔婆(そとば:お墓の横にある木の板)、
    仏像や仏画、掛け軸、
    お寺によっては 壁や天井に至るまで
    梵字を随所にあしらっています。

    一文字で仏を表すこともできますから
    そのお寺の本尊仏の梵字を
    より大事に扱うというのも
    分からない話では無いですね。

    『カタカナやひらがなのようなもの』
    と前述した通り、名前も梵字で
    表すことも可能です。
    まあ、それが出来たからといって
    なにかの役には立つとは思えませんがw

    あと、ある程度の
    梵字と意味を知っておくと
    お寺などに観光に行かれた際
    とても 役に立つ、、、はずです。

    とまあ、今日はこんな
    マニアックな話になりましたが

    楽しんで、、、頂ければ幸いです。

    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/07

    心を安らかにする を考える。

    第17回目の投稿です。
    はい!ゴコウでございます。
    よろしくお願いします。

    今回は心を安らかに
    を考えてみることにします。

    一言に〈心を安らかに〉と言っても
    色々ございますね。
    疲れを癒す または、ささくれた感情を
    抑えたり、激高 または 興奮を抑えたり
    色々な場面で、よく使われたりします。

    具体的には どんな方法が
    あるんでしょうか?

    オーソドックスなのは
    「深呼吸」ですかね?
    とは言いましても
    呼吸法という物も奥が深く
    呼吸を整えることは
    とても大事な要素であると
    言う見方も多く、
    ちょっと前に流行りました
    〈ロングブレスダイエット〉も
    呼吸法を利用した方法だと
    言えますね。太極拳やカンフー、
    空手、剣道、柔道といった武術や
    格闘技にも応用された呼吸法が伝わります。
    力を貯める呼吸法
    力を抜く呼吸法
    気を鎮める呼吸法 様々な形があります。
    インドのヨガの真髄も呼吸法にあると
    言われます。

    〈深呼吸〉奥が深いですね。
    ちなみに〈ため息〉も呼吸法のひとつです。
    よく言われるのは
    「ため息を漏らすと 幸せが遠のく」
    と言う言葉ですかね?
    きっと、ドラマや映画の影響だと
    思われますが、、、。
    一説によると〈ため息〉は
    自律神経や副交感神経に作用し
    良い影響を与えるとも言われています。

    心の平穏を保つ意味でも
    〈ため息〉は出した方が
    あるいは、無意識に出た場合でも
    体や心には良いという説を
    僕は採用したいですね。

    温泉や熱い目のお風呂などに
    浸かった時に出る「あ"あ"あ"ぁぁ」
    と言うのも意味があるそうです。
    ○HKの情報バラエティ番組で
    見たんですが
    「お湯に浸かった時、
    自分が死ぬことを回避するために
    体が反応した結果で、
    「あ"あ"あ"ぁぁ」と言う。」そうです。

    体温より高い温度のお湯は
    得手不得手にもよりますが
    全身を熱いお湯が包み込む訳です。
    その時、自然と自分の呼吸が
    止まってしまっているそうです。

    普通に地面に立ったり座ったりする時も
    普段の呼吸より浅くなっている。
    あるいは 少しの間 呼吸は止まっている。
    と言える状態ですがあまり意識
    されている方は
    おそらくおられません。

    しかし、それがお風呂の場合だと少し
    事情が変わるそうです。
    お風呂の温度の好みにもよりますが
    体温と同じくらいか 40-42℃までが
    一般的な適温と呼ばれるとして、
    43-45℃くらいのお風呂だと
    特に冬の気温差のある時には
    10℃くらいの寒いと感じる浴室と
    お湯の温度差は35℃も違う。
    (これは極端な例えですが)
    これだけでも命を脅かしかねない
    温度差だと言われています。
    ここで、心臓に負担がかかり
    倒れそうになる または、倒れる事を
    ヒートショックと言うそうです。

    それだけの温度差があるとき
    湯船に浸かっていくと
    お湯の温度で皮膚がビリビリする感覚が
    現れた時 慣れた人でも 我慢している
    そうです。 その時 やはり呼吸は
    ちゃんと出来てない。
    その緊張がほぐれた時に
    「あ"あ"あ"ぁぁ、、」が出るそうです。
    意識して小出しにも出来るそうですが
    むしろ自然反応ですから
    出しちゃった方が体には良いそうです。

    つまり、この時の緊張と緩和が
    心に安らぎを与える。という感覚に
    他なりません。
    サウナが良い例でしょうね。
    温度差による緊張を利用して
    自律神経を整えるといった効果が
    期待できます。
    外部刺激による呼吸法と言えるでしょう。

    次に、精神的安定を求める時、
    これも千差万別ですが
    信心や信仰心にそれを求めるという方や
    その中で行われる修行という物から
    安らぎを得ようと考える方も少なからず
    居られるでしょう。

    例えば、日々の追善供養、
    (仏壇にお供えや線香などなど)
    または、座禅、作務、読経、写経、写仏
    、あるいは、瞑想や、祈り、加持祈祷や
    護摩行もその1つと言えます。
    なにかに没頭した状態
    言うなれば、塗り絵やプラモ作り
    ジグソーパズルやテレビゲームも
    適度ならば、心に安らぎをもたらすと
    言えるのではないでしょうか?
    度を越すと、体に変調をきたしたり
    視力や精神に悪影響も与えうるんですが
    それは、ゲームに限ったことでは
    なさそうです。

    座禅は 座って禅を行うというものですが
    「座らなきゃはいけないの?」と
    聞かれたことがあります。
    まあ、座禅をする時 座らなきゃ
    座禅とはいいませんね。しかし、
    この座るという姿勢は
    釈迦が菩提樹の下で座り瞑想した時に
    悟りを開いた とされる場面から
    考案されたものと言われていますが、
    瞑想(ヨガ)という修行は釈迦が悟りを開く
    ずっと前から行われてた修行法です。

    極論を申せば
    禅修行は 宗旨宗派の別はあまり関係なく
    瞑想状態を体現出来れば その状態が正しく「禅」の目指すものですから
    ようは、立っていようが、寝ていようが
    禅の状態、あるいは瞑想した状態に
    身を置ければいいと言うことだそうです。

    立って行えば「立禅(りつぜん)」
    寝て行えば「伏禅・涅槃禅
    (ふせぜん・ねはんぜん)」
    極めつけは 指1本(親指かな?)で
    逆立ちをした状態で行うとされる
    「一指禅(いっしぜん)」なんてのも
    あるので瞑想した状態になりさえ出来れば
    それが「禅」と言えるのでは無いかな?

    また、座禅とは別に
    紙に梵字(ぼんじ:悉曇(しっだん)文字)で
    アと書いて
    紙の裏から灯りをともしたりして
    真円の中心にその梵字のアが来るように
    する。
    その真円の中心のアを見つめながら
    行う瞑想法があります。
    阿字観:アジカンと言います。
    正式な作法としては
    とてもややこしいのですが
    (まず、アという字を梵字で書くところから
    次に、香を焚いて身を清め・・・
    という作法があるそうです。)
    瞑想法という観点から申せば
    かなり有効では無いかと思います。
    なんなら、阿字観セットと言うのも
    Amazonで見かけるほどですので
    どこかのお寺で体験もいいですし、
    ひたすらに座禅を組んでというよりは
    ハードルが下がるのでは無いかと思います。
    (割と座禅はハードルが高いです。
    空(くう)を見るとはなしに見る。。。
    ああ、難しい)

    写経も 上手い下手ではないですが
    下手より上手いほうが 書いてて気持ちは
    いいです。 毛筆じゃないとダメという事は
    ありません。筆ペンでも、なんなら
    ボールペンでも、万年筆でも
    全く問題はありません。
    それは写仏も同様です。

    まあ、慣れればハードルを徐々に上げていきたくなる気持ちもありますから

    何をするかはあまり重要ではなく
    ちゃんと出来てるか否かでもなく
    いかに心を安らかにできるか
    いかにして瞑想状態にできるか
    いかにして集中、没頭できるか
    ここらへんに真意があると考えます。

    寝ることに集中 1度してみてください
    割と難しいと思います。
    瞑想状態になると言うことと
    寝てしまうという事は 似てますが
    全く違うものですから
    眠りにくい方は
    1度 瞑想を行って
    心に余裕を作ることをお勧め致します。

    心 安らかに を考えてみました!

    皆さんも 独自の
    心の安らぎ 教えてくださいね!

    それでは!(*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/06

    イザナミ(伊弉冉)のお話

    第16回目の投稿です。
    はい!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は、《イザナミ:伊弉冉・伊邪那美》
    についてのお話をさせて頂こうと思います。

    皆さんは古事記や日本書紀をご存知ですか?
    我が国で最初の公的な史書という位置づけの
    書物で編纂時期も編纂を命じた人も
    同じです。(第四十代 天武天皇)

    つまり、日本神話に登場する女神が
    イザナミさんなんですが
    古事記は全三巻
    上、中、下から構成されています。
    その中の上巻(上つ巻)に日本という国の
    神々から初代天皇に至るまでの経過が
    描かれていて、イザナミさんは
    かなり悲壮な出来事に巻き込まれています。
    日本書紀は全30巻で
    年表のように要約された編年体で
    描かれています。
    ちなみに、
    古事記は物語のように描かれた書物で
    天皇家の正統性を国内に向けて説く為の
    役割が強く。漢文に寄せた和文で描かれ
    日本書紀は編年体で構成された書物で
    海外においての日本の立ち位置を
    高める役割が強く、漢文で記されています。
    この二書は役割が違う用途があったため
    いずれも必要となった局面があり

    天武天皇が古事記・日本書紀の編纂を命じましたが 古事記は3代後の第43代 元明天皇
    の御代に完成し、日本書紀はさらに次代の
    第44代 元正天皇の御代に完成しました。
    天武天皇が命じてから約30年くらいは
    経過してますね。

    古事記にはイザナミを 伊邪那美と
    表記し、日本書紀では伊弉冉と表記しますが
    同じ神話の内容として 描かれています。

    いよいよ、本題です。
    イザナミが物語に登場するまでに
    まず、三柱の神様が現れました。
    この三柱の神は独神で
    役割を果たすと 消えました。
    この三柱を造化三神(ぞうかさんしん)
    といいます。

    続いて現れた神は男神と女神の対になる
    二柱神が6回 7回目に現れたのが
    男神イザナギ(伊邪那岐)
    女神イザナミ(伊邪那美)でした。
    ここまでに現れた二柱神達を
    神代七代(かみよななよ)
    と言います。

    イザナギとイザナミは
    兄妹であり、夫婦であると
    古事記には記されています。
    イザナギ、イザナミは
    まず高天原(神々が住まう天上の国)
    にある天浮橋(あまのうきはし)から
    海に向かい天沼矛(あまのぬぼこ)を突き立て
    二柱で海をかき混ぜます。
    矛を海面から上げると
    矛から滴り落ちる海水は
    塩となり海に
    降り積もり
    みるみる島となりました。
    この島を淤能碁呂嶋(おのごろじま)といい
    現在の淡路島であると言われています。

    二柱は島に降り立ち
    高天原から島に投げ入れた柱に向かい
    最初の国産み
    (大八洲:おおやしま 日本列島のこと)と
    神産みを始めました。
    天の御柱(あめのみはしら)の外周を
    二柱がそれぞれに周り
    女神イザナミが男神イザナギに
    「逞しいお方よ」と声をかけ
    男神イザナギが女神イザナミに
    「美しき女神よ」と声をかけ
    睦み合いました。
    神話における結婚の契りであると
    言われています。

    すると、女神イザナミは身ごもり
    淡島(泡沫の島)とヒルコを
    産み落としました。
    淡島はみるみる消えてなくなり
    ヒルコ(蛭子神)は手足に力なく
    自らの力で起き上がることも
    ままなりませんでした。
    イザナギとイザナミは
    ヒルコを葦の舟に乗せて
    海に流しました。
    最初の国産み神産みは失敗に終わり、
    淡島とヒルコは産んだ数には
    入りませんでした。

    ちなみに、この海に流されたヒルコ神は
    エビス神となって海運の守り神となりました。エビスを表す漢字はとても多く
    日本人から見て外国人を夷人と
    言ったりしますが。夷人の夷は
    エビスとよみます。 ほかにも
    恵比寿、胡、戎、蛭子などなど
    ほかにもエビスを示す漢字はとても
    多いです。

    最初の国産みを失敗してしまった二柱の神は
    高天原にいる造化三神の1人
    高御産日神(たかむすびのかみ)に
    失敗したことを報告し助言を仰ぎました。

    するとタカミムスビは
    「それは、柱を回ってから
    最初に声をかけたのが女神だったから
    だよ」と答えました。
    (公式な史書に描かれた最初の
    女性軽視・女性蔑視な表現だと
    言われています。)

    二柱はやり直すために
    天の御柱を周り
    男神イザナギから
    「美しい女神よ」と声をかけ
    女神イザナミは
    「逞しいお方よ」と応じ
    改めて国産み・神産みを再開し
    大八洲(日本列島)と多くの神々を
    産み落としました。

    イザナミが最後に身篭った神は
    ホノカグツチ(火加具土命)
    火炎の神様でした。
    その神を産み落とす時
    イザナミは産道から
    四股にかけて大火傷を負い
    死の淵を彷徨い、苦しみもがいた末に
    とうとう命が尽きてしまいました。

    その苦しみもがいている最中にも
    イザナミの吐瀉物やふん尿からも
    神々が何柱も産まれました。

    女神イザナミの死に酷く嘆き悲しんだ
    男神イザナギは、最後に生まれた我が子
    ホノカグツチを自らの剣(十拳剣)にて
    斬り伏せて殺してしまいました。
    (出産の難しさを表している内容では
    ありますが、それにしても男神の
    行動にとても違和感を覚えます。)

    切り殺されたホノカグツチの亡骸や
    飛び散った血液からもまた、
    色々な神々が産まれました。

    嘆き悲しみに暮れる男神イザナギは
    「よし!女神イザナミが居なくては、
    国産み・神産みは終えられない。
    ならば、黄泉の国からイザナミを
    連れ戻そう。」と思い立ち、
    男神イザナミは1人 黄泉の国へと
    向かいます。

    黄泉の国に到着し、
    その国に流れる小川のほとりに
    女神イザナミがいました。
    (イザナミは小川で小さいドクロを
    洗っていたと書かれる文献もあります。)

    男神イザナギは
    「イザナミよ。 どうか戻ってきては
    もらえまいか。女神が居なければ
    我ひとりでは国産みや神産みは
    終わる事が出来ない。」
    と女神イザナミに伝えました。
    イザナミは男神イザナギに
    「私は、すでにこの国の食べ物を
    口にしましたので、
    この国を出ていく手段がありませぬ。
    私は、黄泉の国で我が子のドクロを
    休んじて過ごします。 貴方様は
    どうか、来た道をお戻りください。」
    と答えました。
    そう言われても、まったく話を
    聞き入れない男神イザナギに
    とうとう女神イザナミは、ある提案を
    イザナギに話します。
    「分かりました。イザナギ様
    これより、この国の長、
    黄泉大神様に相談し、
    なんとか元の世に戻れるように
    掛け合ってみます。
    その上でイザナギ様
    私と約束を交わし
    くれぐれもそのお約束を
    お守り頂きたいのです。
    よろしいですか?」
    と真剣な表情で訴えます。

    「女神があちらに戻って貰えるなら
    どのような約束でも違えることは
    有り得ない。 して、
    その交わす約束とは?」
    と、男神イザナギは自信ありげに
    応じました。
    「あちらにある宮で黄泉大神様と
    直談判している最中に、決して宮の中を
    覗いてはいけません。
    私が話し終えてここに戻ってきますから
    それまでここで待っていて下さい。」
    と女神イザナミは男神イザナギに
    伝えました。

    イザナギは快諾し、
    「その場を決して動かぬし
    宮の中は覗くまい。
    女神イザナミよ。必ずや
    ここに戻ってきておくれ。
    我と共に国産み・神産みを
    完遂させようではないか」と
    女神イザナミに伝え
    イザナミは黄泉大神の居る宮に
    しずしずと入っていきました。
    (この手の話を
    "見るなの禁"と言いますね。)
    幾時間経過した事でしょう。
    男神イザナギは女神イザナミを
    思うあまり、我慢出来ず
    女神イザナミと交した約束を
    失念してしまい、勢いに任せて宮に近づき
    中を覗いてしまいました。

    すると、宮に居たのは、
    あの美しく気高かったはずの
    愛しい女神イザナミの姿はそこになく
    やつれ朽ち果て、ウジにたかられた姿の
    見るも無惨な姿をしたイザナミが
    覗いて見ていた男神イザナギを
    睨みつけました。

    思わずイザナギは、、、
    「あなや、イザナミ なんと醜き姿よ。」
    と言い残し宮を後に逃げ出しました。

    男神イザナギの言い残した言葉に
    激高した女神イザナミは
    黄泉醜女(よもつしこめ)に命じて
    男神イザナギを追わせましたが
    逃げる男神イザナギも必死ですから、
    イザナミの形見にして
    自らが肌身離さず持っていた
    つげの櫛を追ってくる醜女に投げつけると
    その櫛は 茨となり醜女の足を鈍らせ
    さらに、道すがらに成っていた桃の実を
    もぎとっては醜女に投げつけるイザナギ
    すると その桃の実は
    かぐわしい香りを放ち
    追ってくる醜女たちの足を止めました。

    男神イザナギは
    来た道を全力で駆け抜け
    やっとの思いで あの世とこの世を
    繋いでいる道の境に到着し
    大きい岩で その道を
    塞いでしまいました。

    その道を塞いだ大岩を挟んで
    男神イザナギと女神イザナミは
    対峙します。 その場所の名前が
    黄泉比良坂(よもつのひらさか)
    と言います。 現在も島根県の松江市の
    東出雲町揖屋にあり、その近くに
    女神イザナミを主宰神とした
    珍しい神社があります。

    対峙した時のやり取りが
    「貴方様は
    私を醜いと言いましたか
    あれほどまでに
    決して中を覗いては
    ならぬと申しましたのに
    中を覗いて貴方様は
    私を醜いと言い残し
    逃げましたね。
    怨めしや ああ、憎らしや
    私は、これより
    1日に1000人の命を
    貴方様の国の民より
    頂戴いたします。」

    岩の向こうで女神イザナミが
    すすり泣き、恨みを聞いていた
    男神イザナギは
    「では、こうしよう
    そなたが我が国の民の命を
    日に1000人奪うと言うならば
    我は、我が国の民
    日に1500人の命を産み育てよう。」
    と言い残し、男神イザナギは
    二度と振り返ることなく
    黄泉比良坂を後にしました。

    こういう経緯で
    女神イザナミは我が国で最初の
    祟り神となりました。
    まぁ、内容が内容なだけに
    女神イザナミの気持ちも理解できます。

    現在イザナミは 彼女自身が
    黄泉の国の統治者
    黄泉大神(よもつのおおかみ)
    として、深く信仰されています。

    女性の為のパワースポットとして
    揖屋神社はとても強力で
    第37代 斉明天皇(女性天皇)の勅命を
    もって建てられたと伝わり
    斉明天皇の夢のお告げに
    イザナミが現れたとも
    言われています。

    悲劇の女神 最初の女性蔑視の犠牲者
    女神イザナミのこと
    皆様にすこしでも身近に
    感じていただければ
    イザナミ様も 喜んでくれている。
    と 思ってます。

    島根県はちょうど
    神在祭の最中なので
    イザナミ様の話をしてみました!

    (僕は、、この話
    全部男が悪いんだ
    としか 思ってませんがw)

    それでは!(*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/04

    祟り神についてのお話

    第15回目の投稿です。
    はい!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    【祟り神:たたりがみ】と言うのを
    ご存知ですか?日本の
    文化の中に居られる
    有名な祟り神といえば
    皆さんは誰を思い浮かべますか?

    大宰府に左遷された菅原道真?
    止むにやまれず新皇を名乗り
    反乱を起こした平将門(たいら まさかど)?
    東北侵攻の際、投降した末に
    騙されて首を落とした
    悪路王・阿弖流為(アテルイ)?
    他にも、黄泉大神・イザナミ
    崇道天皇・早良親王
    崇道尽敬皇帝・舎人親王
    ※天皇の名に見える 崇は祟とは
    似てますが 意味は全く違います。
    天皇の名前に付けられるのは《崇》
    あがめる という意味です。
    崇道天皇(追尊)と崇道尽敬皇帝(追尊)
    あるいは、崇神天皇、崇峻天皇、
    崇徳天皇、北朝の崇光天皇(廃帝後追号)
    崇めるという字を諡号(しごう)に持つ天皇は
    6人だけですね。
    祟は出の下に示 で
    たたりをなす、バチをあてる
    という意味になります。

    崇という字に込められた意味とは?
    早良親王(崇道天皇)も
    舎人親王(崇道尽敬皇帝)も
    存命中に不遇な扱いを受け
    憤死していますから
    怪異が起これば ○○の祟りだと
    言われるような心当たりは
    すごくあると思います。

    また、平将門は乱の首謀者として
    経緯はともかく、反乱を起こすだけの
    理由があるにせよ 現在至っても
    祟り神としての信仰を集めたり

    菅原道真も出自に見合わぬ出世を遂げ
    ほかの権力者からの要らぬ不興を買い
    一説によると造反をしたとの嫌疑や
    あらぬ疑いを晴らせないまま左遷先の
    大宰府(福岡)で死去し、天満宮に祀られ
    現在も学業の神様としての尊崇を集める
    顔も持ちますが、都を恐怖のどん底に
    たたき落としたと言われ、雷公(らいこう)
    と言う通り名を併せ持ちます。

    天皇に至って申せば
    崇神天皇・崇峻天皇・崇徳天皇・崇光天皇
    これらは祟りをなす要素としては
    とても強い方が揃っています。

    崇神天皇は 実在した最初の天皇と
    言われています。
    初代 神武天皇と崇神天皇の諱が
    同じ音を持つ名前なので
    そう言われていますが 崇を冠する
    天皇で唯一、祟る要素が
    見当たらない方でもあります。

    崇峻天皇は、皇位継承問題の渦中にあって
    蘇我馬子の推挙をもって天皇の座には
    就きましたが、結局は馬子の息のかかった
    刺客により暗殺されました。

    崇徳天皇は、後白河法皇との権力闘争に
    敗れ、讃岐(香川)に流され、
    帰京を切に願うも、拒絶され
    失意のうちに乱行を重ね、京への偏愛から
    祟り神となると宣言し、崩御されました。
    ちなみに、讃岐院とも言われています。

    崇光天皇は、南北朝時代の末期に
    南北朝を統一するタイミングで廃帝に
    なりました。 しかしその統一は
    失敗に終わりましたが、
    重祚(ちょうそ:天皇経験者が
    再び即位する事)かなわず
    やはり、不遇のまま一生を終えました。

    とまあ、崇神天皇を除けば
    崇められるはずの立場にあったが
    崇められ損なった天皇に《崇》の
    名を送ったとも言えるような形に
    なりました。

    日本神話における祟り神も
    かなり多く、祟る=バチをあてる
    という意味ならば

    日本神話最古にして
    黄泉の国の長 黄泉大神 イザナミ

    イザナミを母と崇め、
    神の住まう国 高天原を破壊し、
    追放された荒ぶる神スサノオ

    スサノオから8代後の
    直系子孫として
    最初に豊葦原中津国
    (とよあしはらのなかつくに)を
    統治したオオクニヌシは
    アマテラスの配下
    タケミカヅチと言う武の神に
    半ば強引に奪われ、
    豪奢な社と引替えに
    表舞台から追い出されました。
    (お隠れになりました。)

    その他にも、サルタヒコも
    三重県伊勢にある阿射加の浜で
    ひらふ貝に手を挟まれ そのまま
    溺れて海の底へ引きずられた後
    自らを「日に500人の命を奪う。」
    という宣言をして、祟り神として
    自らの立場を明らかにしました。

    つまり、サルタヒコは何について
    祟りたいかはハッキリしてないまでも
    日に500人の命を脅かしてますから
    とんでもない宣言です。

    イザナミは裏切ったイザナギに対して
    「貴方の国に住まう民の命を
    日に1000人から奪う」
    と言いはなったと古事記には
    描かれています。

    この時、イザナギは
    「だったら 我は、我が国の民
    1日1500人産み増やそう。」
    宣言し返してますから
    どっちもどっちなんですけどね。

    これらのことから考えると
    祟りとは?
    祟りたい相手がかなり
    限定してるにも関わらず
    その人(時の天皇や権力者、神に対して)
    を困らせたい一心で
    バチを当てている という事になりますね。

    いわゆる、、、八つ当たり状態?
    その結果、神として祀られたり
    塚を築いて怒りの矛先を躱したり
    宥めたりと、、、とんでもない話です。

    畏怖畏敬という言葉がとても
    根強く残る国 それが日本という
    お話でした!!

    今回も とても長くなりましたね。
    楽しんで頂ける、、、内容では
    ありませんでしたが

    楽しんで頂けましたでしょうか?

    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/04

    死神についてのお話

    第14回目の投稿です。
    はい!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は《死神:しにがみ》について
    お話を進めさせていただきます。

    皆さんは《死神》と聞いて
    どんなイメージを感じますか?
    怖い?恐ろしい?

    少なからずそういう
    ダークなイメージは
    ありますね。

    しかし!死を司る神ですから
    正直、避けては通れない関係を持つ
    とも言えます。

    イメージ通りの姿といえば
    ドクロが黒いマントを頭から被って
    大きい鎌(デスサイズ)を振りかぶっている
    という様子でしょうか?

    このイメージは中世ヨーロッパの
    タペストリー(織物)や
    当時に起こった出来事に
    よく出てくるイメージです。

    14世紀のヨーロッパで猛威を奮った
    ペスト菌のパンデミック
    当時の人達には 到底太刀打ち出来る
    代物ではなかった。
    その病を黒死病と呼び、恐れた
    という時代背景があります。
    黒い というイメージと 死という
    イメージをビジュアルにすると?
    皆さんがご存知の死神の
    イメージに近くなりました。

    もう少し掘り下げて見ましょう。
    世界各地に死を司る 言わゆる
    死神は存在します。
    古代エジプトでは とても死を研究して
    いたので、色々居ますね。
    アヌビスやオシリス(月)などなど

    ギリシャ神話になると
    死生観は完成していたと
    言われていますから
    タナトスやハデス

    スラヴ神話では チェルノボク

    ヒンドゥー教では
    マヤ(最初に死んだ人とされる。
    仏教では閻魔天と同一)

    北欧神話では
    オーディン、ヘラ、ワルキューレ
    数えあげれば色々でてきます。

    キリスト教やイスラム教は
    死神ではなく、死の天使と
    言われる。サリエル(キリスト)、
    アズライール(イスラム)というのが
    死神に該当するのではないかと
    思われます。

    どこをどう探しても
    白骨した体で
    黒マントをかぶり
    大きい鎌を振りかざした死神は
    宗教の中には登場しません。

    しかし!1800年代になると
    死の擬人化としての
    イメージ通りの死神が突如
    現れました。
    グリムリーパー(Grim Reaper)という名で
    1847年(The Circle Of Human Life)という
    文献の中に登場したのが最初だと
    言われています。

    日本はどうかと言いますと。
    このグリムリーパーのイメージも
    あるにはあると思いますが

    日本神道における死神といえば
    日本最古の祟り神にして
    黄泉大神(ヨモツノオオカミ)
    イザナミを置いて他はないでしょう。
    一方、仏教における死神といえば
    閻魔(摩耶天)になるのでしょうか?
    地獄の裁判官というイメージは
    拭えませんが、、、
    落語の演目で《死神》
    というものはありますが
    ここに出てくる死神も
    イメージ通りのものとは言い難い。

    そのわけは、
    元々日本に死神という概念が
    なかったからだと言うことになります。

    神道においての死生観
    仏教においての死生観
    また、西洋や東洋の死生観
    全部バラバラではあるんですが
    結局のところ 生まれたからには
    必ず死は訪れます。

    死神とは?
    いわゆる死を司る【神】ですから
    好き勝手に死を振りまいていると
    言うわけでは当然ございません。
    たちまち死ぬ運命にある場面で
    初めて姿を現すともいわれ、
    死を与える権限を持っている存在
    と言っても過言では無いと思います。
    つまり、必ず死だけを与える。
    とは少し違い、死を与えない場合も
    あると言えますね。
    その場合、
    死を与える神=生を与える神と
    なりえます。

    タロットカードにも登場しますが
    このカードが絶対的に悪いという意味
    は有り得ませんから、ご注意を

    確かに司る意味は《死》ですが
    終わり、終焉という位置づけも
    無視はできません。 しかし、
    全てを否定するカードでは
    ありませんから
    このカードが出たからといって
    諦めませんように!

    内容にもよりますが
    多くの場合 悩みを抱えている人自身が
    死神のように何かに死を与える権限を
    持っていることに自覚しなさい。
    という意味になることが多いので
    (特に恋愛のこじれのご相談では)

    特に今回は ここを伝えたかったわけですが

    たまには 占い師のような
    話をしてみたんですが
    いかがでしたか??

    それでは!またよろしく!

    投稿日:2022/11/03

    出雲(いずも)のお話

    第13回目の投稿です。
    はい!ゴコウです。
    11月になりましたね!

    出雲地方では
    旧暦10/10~10/17は
    神在月の神事を毎年行っている。
    というのをご存知ですか?

    今年は11/3~11/19が
    その期間になっています。

    そもそも神在月とは?
    一般的に10月の呼称を
    【神無月:かんなづき】と言いますが
    なぜ神が無いのかと申しますと
    日本全国のあらゆる神様(八百万の神)が
    この旧暦10/10には
    出雲大社:いずものおおやしろ へ
    出張されるからと言うことなんです。

    出張してる間は出雲のある島根を除く
    他の地域は【神無月】と言い
    出雲地方は【神在月:かみありづき】と
    言います。

    出雲といえば?
    出雲そばも美味しいですが
    この時期の神在祭(かみありさい)は
    とても荘厳で一見の価値ありですよ。

    まず、全国から船に乗った神様を
    稲佐の浜でお出迎えをします。
    それから 出雲大社へお連れして
    歓待します。(神迎神事)

    なぜ全国の神様が出雲大社に?
    一説には、出会いの相談(縁結び)に
    年に一度の集まると言われています。
    「どこそこの誰それから このような
    願い事をしておるようじゃ」
    「ほぅほぅ、そのような願いならば
    出雲のオオクニヌシに任せれば良い」
    「そうじゃそうじゃ」と、、、
    言ってる感じですかね?

    現在の出雲大社の社殿もとても立派で
    荘厳なんですが、元はさらに大きく
    現在の4倍もの高さを誇っていたと
    言われます。
    【現在は約24m ですから 4倍だと
    96mですか、、、すげえ】

    これまでは神話の中の話と
    言われてきましたが、
    古い社の柱の跡が発見され
    その跡の大きさから
    やはり96mの建造物が
    あった可能性を
    裏付けていたりしています。
    (最低でも48mはあっただろうとか、、、
    まあ、それでも凄い!)
    昔の口遊(くちずさみ)の中に、
    雲太 、和二、京三
    という言葉があったそうで、
    一番が出雲大社(太郎の太で1番の意味)
    口伝によると、
    上古32丈、中古16丈、今8丈
    と伝わっており、1丈が大体3mですから
    その伝承が最近の発掘によって
    ぐっと現実味を帯びてきたと
    言えますね。

    ちなみに二番の和は
    大和国(奈良県)の東大寺
    三番は、京都御所の大極殿

    この口遊が流行したのは
    平安時代だと思われますが
    その時代の出雲大社は、もう
    24mになっていたと言うことになります。
    だったら 雲太じゃおかしいじゃん!
    ってなるはず

    しかし、昔はもっと高く、そびえ立っていた
    というのが伝わっていることに
    信ぴょう性がありませんか?

    出雲大社もそうですが
    その近くに日本神話や出雲風土記
    の伝わる場所がゴロゴロあります。

    元出雲と呼ばれる 熊野大社、
    出雲大社の社殿と同じ造りが残る
    神魂神社(かもすじんじゃ)
    日本で最初に歌われた和歌に
    縁のある 須賀神社
    【八雲立つ出雲八重垣
    夫籠みに八重垣作るその八重垣を】
    スサノオが詠んだ歌と言われています。
    黄泉の国とこの世を繋ぐ
    黄泉比良坂や
    黄泉大神(よみのおおかみ:イザナミ)を
    主宰神に祀る 揖屋神社(いやじんじゃ)
    などなど、、、
    松江城や宍道湖も近いですし
    温泉もあり、美術館あり
    この神在月にぜひ行ってみてください!
    超オススメのパワースポットの宝庫です。

    と、、、島根県の回し者かと
    思われるほどの
    猛プッシュしてしまいました。

    まあ、プッシュしても
    僕には何も残りませんが
    楽しいですよ!ww

    またよろしくお願いします。

    投稿日:2022/11/02

    桃太郎のお話。。。

    第12回目の投稿です。
    はい!ゴコウでございます。
    よろしくお願いします。

    今回は、【桃太郎】のお話です。
    では、さっそく

    むかしむかし、あるところのに
    おじいさんとおばあさんがいました。
    から始まる。おとぎ話は超有名ですので
    割愛します。

    実は、この物語、不思議ポイントが
    山盛りなんですよ。
    【そもそも、桃太郎てだれ?】
    【犬、猿、雉(きじ)は、なぜお供に?】
    【なぜ桃から生まれた?】
    【なぜ、きびだんご?】
    【鬼って具体的に何をしたの?】
    【倒された鬼はどうなった?】
    【鬼から分捕った宝物は?】
    【その後の桃太郎はどうなった?】
    などなど、、、
    諸説がそこらかしこから降っては湧き
    降っては湧きしています。

    そもそも この桃太郎、
    有名な英雄でありながらも
    出自が今ひとつはっきりしないと言う現象が
    頻発しているのも事実で
    岡山説、富山説、奈良説、京都説、東北説
    九州説、四国説、山陰説、そりゃあもう
    全国にその名が轟いていますから
    出自に関して、おらが村だ!
    と言いたくなるのもまた、心情です。

    まず、この桃太郎のモデルと言われた人は
    どこから湧いたか?ですが
    ズバリ!【日本書紀】にそのモデルが
    描かれているとする説があります。

    桃太郎のモデルと言われている人物は
    【吉備津彦命(きびつひこのみこと)】
    第七代孝霊天皇の子とされています。
    バッチバチの皇族です。
    現在の奈良県磯城郡田原本町
    (ならけん しきぐん たわらもとちょう)に
    生まれたといわれています。

    第何皇子かまではよく分からないですが
    とても、優秀で武勇にも長け、
    また人望もあった、、、らしいです。

    その吉備津彦は山陽・
    山陰地方を制圧するために
    四道将軍(しどうしょうぐん)の1人として
    派遣されたと記されています。

    吉備津彦が制圧したから
    岡山は吉備と名がついたのか
    それとも吉備地方を制圧したから
    吉備津彦になったのかは定かでは
    ありませんが
    黍(きび)が特によく取れたから
    吉備になったとも言われてます。
    しかし、全国的に黍は取れてたはず
    うーん、、、謎ですね。

    その派遣に従軍した優秀な家来に
    犬飼部の犬養健(いぬかいたける)
    (直系子孫に
    第29代内閣総理大臣 犬養 毅が居ますね。)
    猿飼部の楽々森彦(ささもりひこ)
    そして、鳥飼の技に長け、
    吉備津彦に嫁いだ留玉臣(とめたまおみ)
    はい、犬、猿、キジ登場しました。
    なぜこのイヌサルキジになったか?
    は後述します。

    まず、なぜ桃から生まれたか?ですが
    桃は、儒教や神仙思想において、
    もっとも尊ぶべき果実とされ、
    仙桃(せんとう)や蟠桃(ばんとう)と
    称され、
    (孫悟空はこの実を食べたそうです。)
    不老長寿を象徴であるから
    という説、

    桃そのものに、神聖な意味があり
    悪鬼羅刹や悪霊、怨霊を払う効果が
    あると言われるところから
    という説、

    桃を食べたおばあさんとおじいさんが
    若返った末に、営んで 桃太郎が授かった
    とする説、

    他にもいろいろな説はありますが
    モデルとなった吉備津彦には
    あまり関係のない説が
    多数を占めてますねw

    次になぜ、きびだんご?
    ですが、その答えは、ハッキリしません。
    いつからきびだんごなのかも
    吉備津彦だから吉備(きび:現在の岡山)で
    黍(きび)にかけたオノマトペ?(言葉遊び)
    黍団子そのものは 現在のお菓子の形に
    なる以前からあったとされています。
    五穀のひとつとしても数えられます。

    米、麦、粟(あわ)、稗(ひえ)、
    黍(きび)、の 黍
    トウモロコシもトウキビといいますが
    黍は全く別物ですね。もちきび と
    言ったりします。

    つまり、とても古くから日本にあった
    主食にもなる穀物ですから
    団子というのは、単なる比喩で
    その黍そのものを俵や黍のとれる田畑を
    家来に分け与えたのでは?と
    言う説が有力です。(軍隊ですから)

    つづきまして、鬼って具体的に
    何をしたというのか?

    これまた、色々な説があります。
    吉備地方には、反大和勢力と言われる
    豪族が統治していたと
    日本書紀に記されます。
    ここが山陽道・山陰道制圧の
    起点にもなります。

    その吉備地方を治めていた
    豪族の長の名前が
    温羅(おんら・うら 卯羅とも書く)
    この温羅がとても、乱暴で、
    吉備地方の人達は苦しめられていた。
    と言うのが、大和政権側の大義名分です。
    つまり表の理由。

    ここらへんも諸説はありますが
    実は別の狙いがあったのでは?
    というのが有力です。

    吉備地方 特に豪族の長、
    温羅が治めていた場所はとても
    上質な鉄の産地で、
    優秀な製鉄技術(たたら製鉄?)も
    あったと言われています。

    つまり、大和政権はこれが
    すごぉくほしかった。
    こちらは裏の理由。

    だからこそ、
    天皇の息子=神の子=吉備津彦命が
    制圧する必要があったのでは
    ないでしょうか?

    まあ、実際に温羅が吉備地方で
    どんなに優れた善政を敷いて居たとしても
    悪政だなんだといわれて
    喧嘩吹っ掛けられて応じた訳ですし
    しかも、その喧嘩に大敗しましたから
    勝った方の理屈しか残りませんね。

    この温羅を長とした豪族との戦い
    実は、日本書紀に描かれた
    時代背景としては珍しい事ではなく
    第七代天皇の時代は
    大和政権自体がとても脆弱であった
    と見る方が正しいです。
    (二代天皇から九代天皇までを
    俗に、【欠史八代】歴史が欠落した八代
    と言われています。)
    つまり、大和政権は
    渡来系の新興の一勢力に過ぎなかった。
    と言えるでしょう。

    古事記、日本書紀は
    同時期に編纂を命じられた史書ですが
    それを命じたのは
    第四十代 天武天皇で、
    しかも、天武天皇が崩御された後に
    完成してますから
    吉備津彦の物語自体が
    後の天皇家の正統性を強固にするために
    作られたものと考えると

    温羅側が勝利していた
    可能性もあったはず
    温羅の出自は土着の民なのか
    それとも、古代天皇家と同じく
    百済や高句麗から来た渡来系なのかは
    全く分かりませんが

    大和政権は反大和権力に対して
    とても厳しく、残酷な仕打ちをした歴史が
    ありますから、温羅VS大和政権が
    とても稀な出来事ではなかったはず

    さらに有名な
    反体制VS天皇正規軍の戦いは
    平安時代初期
    日本国初の征夷大将軍
    坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)
    と悪路王(あくろおう)と呼ばれた
    東北地方豪族の長
    阿弖流為(アテルイ)との戦いや
    平将門の乱などなど 反大和権力と
    大和政権の争いは古事記、日本書紀の
    編纂されていた時も
    度々繰り返されています。

    おそらくは、編纂時期に起こった時事を
    そのまま、投影させて
    吉備津彦軍vs温羅軍の戦いを
    演出したのでは?とする説もあります。

    つまり、戦いに勝った側が一方的に
    温羅という悪の権力者を葬った!
    吉備地方は安泰だ!と言い続けることで
    吉備津彦を英雄に仕立てあげたというのが
    桃太郎のベースにあると思われます。

    温羅勢力自体が大和政権に対して
    何かしたとも、何もしてないとも
    描かれてませんし、吉備地方の人を
    どのように苦しめたなども
    後の創作の域を超えませんから

    きっと具体的には誰に対しても
    何に対しても
    なんにも悪い事はしてないと
    言えるのではないでしょうか?

    ちなみに、この鬼(温羅)は
    吉備津彦軍(桃太郎)にやっつけられた後
    一族郎党はほぼ全滅、あるいは離散
    したと思われますが、温羅自身は
    首を切られ埋められてしまいました。

    その首が埋まっているとされる場所に
    吉備津彦神社(岡山県市内)が建ち、
    その場所そのものには
    竈(かまど)を設置され、
    その竈を使い1年の吉凶を占う神事が
    毎年行われています。(鳴釜神事)

    同じ境内に温羅神社もあり、
    現在も神として奉られています。

    分捕った宝物の所在ですが
    具体的に何を分捕ったかと言えば
    吉備地方の統治権
    製鉄技術と鉄鉱(砂浜の砂鉄とか)
    あとは温羅の高価なコレクション
    くらいかな?

    おそらくおとぎ話では
    この温羅のコレクションを
    金銀財宝や山海の宝物として
    描いてるのでは?

    ここで桃太郎は
    おじいさんやおばあさんのいる家に
    凱旋して大団円!となる終わり方が
    多そうです。

    村村に宝物を配ったとする終わり方も
    結構ありますね。

    吉備津彦は天皇に連なる皇族ですから
    孝霊天皇に献上するというのもあるし
    手元に置いておく物もあるでしょうね
    あるいはその両方もあるはず

    または、家来に分け与えたというのも
    考えられる訳ですが、、、
    実際はどうなんでしょうか?
    ハッキリしているのは
    敵の首は確実に持って帰って
    葬っているという事くらいですね。

    その後の桃太郎、ひいては
    吉備津彦さんのその後
    全く描かれていません。。。。
    後の天皇になったとも言われませんし
    物語によっては
    おじいさん おばあさん と
    幸せに暮らしましたとさ
    で締めくくられてますから
    なんとも言えませんね。

    さて、犬、猿、キジですが
    なぜこの三びきにフューチャーされたか
    ですが、前述の通り
    犬も猿もキジも象徴として
    人の家来が2人と嫁であった。
    と言われてます。

    おとぎ話では
    桃太郎、犬、猿、キジの
    1人と2匹と1羽の冒険譚として
    描かれてますが
    どんな無理な設定なんだと
    思われる方も少なくない。

    ですが 犬飼部の犬養健、
    猿飼部の楽々森彦、
    鳥飼の技に長けた嫁・留玉臣
    それぞれがモデルとなってます。

    しかし4人で敵に向かうというのも
    まだまだ無理のある話です。

    吉備津彦(桃太郎)軍として見た場合
    それぞれが部隊長という役割をもった
    ちゃんとした統制軍だとすると?
    例えば、、、
    司令官:四道将軍 吉備津彦
    特別攻撃隊 部隊長:犬養健
    隠密部隊 部隊長:楽々森彦
    後方支援.情報解析部 部長:留玉臣
    このようになるのでは?

    その報酬として、黍畑、あるいは黍俵で
    支払われ、切り取り御免(分捕りOK)も
    認められた天皇の正規軍の様相
    を呈してます。

    そして、温羅を鬼として見立てた場合
    鬼が出現する場所を鬼門と捉え、
    鬼門は艮の方角(北東)に位置しますから
    裏鬼門にあたる
    戌(いぬ)の方角:西北西
    酉(とり)の方角:西
    申(さる)の方角:西南西
    に鬼封じの意味を込めたとする説
    (本来、裏鬼門とするなら
    坤(ひつじさる)の方角(南西)なはずですが
    そもそも、日本に羊が少なく、
    一般的ではなかったとする説や
    鬼には弱いイメージの為という説が
    あります。)

    また、犬は鬼が居ぬ(いぬ)、
    猿は鬼が去る(さる)、
    キジは鬼は帰じぬ(キジぬ)
    になぞらえたとする説、、、

    もう、どれがどれやら さっぱりです。
    僕としては、
    反大和勢力 温羅軍VS
    大和政権正規軍 吉備津彦軍
    の説をとても推したい!
    なぜなら、1番現実的かなと
    思いました。

    という事で 桃太郎のなぜ?
    のお話でした!

    楽しんで頂けましたでしょうか?
    いやぁ、、うーん、、どうだろう、、、。

    また!よろしくお願いします。

    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/11/01

    卑弥呼?邪馬台国?どこ?だれ?

    第11回目の投稿です。
    はい!ゴコウでございます。
    よろしくお願いします。

    今回は、歴史好きの方の永遠のテーマ
    『卑弥呼(ひみこ)』
    『邪馬台国(やまたいこく)』に関しての
    私見や考察を織り交ぜながら
    お話しようと思っております。
    (つ、、ついてきてくださいね。)

    歴史の授業や教科書、
    または、テレビや映画などで
    よく目にしたり、耳にされたりする
    のではないでしょうか?

    日本における謎の中でも
    常にトップクラスの知名度
    九州にあったのか、近畿にあったのか
    それとも山陰?北陸?未だ持って
    全く解明されない失われた文明と
    言われています。

    なぜそんな事になってしまったか?
    通説では、
    この卑弥呼と呼ばれる女王が
    君臨したと言われる時代
    我が国では文字という文化が
    未発達だったからと言われています。

    交易をしようとしていた形跡は
    ありますが、それもあまり盛んに行われた訳でもなく、交易しようとしていた国ごと
    滅亡してしまって、その後の国は
    我が国の情勢にはあまり興味を示さなかった
    と言えるでしょう。

    つまり、卑弥呼と呼ばれた女王や
    その女王が統治していた邪馬台国という
    国、そして、卑弥呼と呼ばれた女王の
    後継者も女王・壱与(いよ)という名で
    卑弥呼なき国の争乱を鎮めたことなども
    とある国の書物に記されていた。
    というのが『卑弥呼、邪馬台国論争』の
    きっかけとなっています。

    そのとある国とは?
    紀元3世紀ごろの中国は、
    三国時代の末の頃
    魏国(ぎこく)と言われた国と
    この『卑弥呼』が統べる国『邪馬台国』が
    なんらかの交流を果たしたと言う
    やりとりを公文書に残しました。

    それが世にいう、
    『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』です。
    この書物によると西暦238年に
    魏皇帝 曹叡:そうえい に
    使者を遣わしています。
    この時に、卑弥呼は魏皇帝より
    『親魏倭王:しんぎわおう』という称号を
    賜ったそうです。
    そして、西暦247年に卑弥呼が没し、
    邪馬台国は乱れて、13歳の壱与という女王に国を任せ乱は収まり国を治めた。
    と書かれてあります。

    つまり、魏国で書かれた
    書物の中にしか
    邪馬台国、卑弥呼、ひいては
    壱与が後継なったと
    書かれてないんです。

    だからこそ!ロマンがあるよね!
    だって掘り出したものが、
    その当時のものだったら
    卑弥呼が使ったかも!って、、、

    仮にその当時の土器や、かまどの跡
    居住の跡が出土したとしても、、、
    邪馬台国だったことを
    誰1人証明出来ないというのが
    本当のところなんです。
    (僕はかなり冷静に、この問題を見てます。)

    前述の通り、西暦200年代は
    日本に文字はまだちゃんと
    伝わってなかった。となってます。
    つまり、口伝や、踊謡(とうよう)に
    して周りに伝えるしか術がない時代
    の証明なんて 正直無理ではないかと
    思っています。
    科学的に解明出来るのは
    炭素成分を数えて年代把握が出来ること
    まあ、これだってとぉっても
    凄いことなんですけども、、、。

    例えば
    昔から曰くのある土地の中から
    年代不明の刀剣が出土したとします。
    その出土品は
    材質は青銅で、鋳造(ちゅうぞう)
    されていて、
    紋様や細工はされている形跡があり、
    保存状態はすごく良好
    しかし、碑文や銘などと言った文字が
    一切なく 一見すると、儀式用に
    相応しい特別なもの という事が
    推察できます。

    今まで色々な物が出土していますから
    それなりのプロファイルは出来るはず
    そして成分分析で年代を特定し
    西暦200年頃に作られたという結果が
    出た場合、、、邪馬台国だ!卑弥呼だ!
    となる不思議、、、という違和感を
    感じてしまうんです。

    そもそも、邪馬台国しか刀剣を持ちえる国は
    なかったんでしょうか?
    内紛はあっても、争いを仕掛ける
    または、しかけてくる隣接した国は
    なかったとも言えないはず
    少なくとも
    邪馬台国と呼ばれた国は日本を
    統一してた訳じゃありませんし、
    男が統治して国が荒れたから
    女王に統治させてみようが成功した
    (と魏志倭人伝には書かれてます。)
    と言われています。
    もしや?当時の最先端な感覚なのか
    それとも?そういう神託(神のお告げ)でも
    あったのか、外洋を渡れる船が
    作ることが出来たのだから
    強大な力を有してたとは言えても
    証明は困難を極めますね。

    それと併せて、我が国でも焚書に似た
    歴史が600年代末に起こっています。
    つまり、意図的にそれまでに伝わった歴史を
    消し去ったのでは?と思える事象が
    実際に起こりました。
    言わゆる、【乙巳の変】です。

    【乙巳の変】とは?
    時の権力者 蘇我入鹿(そがのいるか)
    立場としては、天皇を支える大臣で
    皇族とも姻戚関係にあり、破竹の勢いが
    服を着て歩いているという感じ
    この人を、皇族で
    皇位継承の順位もトップクラスだった
    中大兄皇子:なかのおおえのおうじ
    後の天智天皇と中臣鎌足 後の藤原鎌足
    が結託して、暗殺してしまった。

    まあ、これが乙巳の変なんですが
    ぼくら40代世代では 大化の改新と
    習った記憶がありますね。

    後日に、蘇我入鹿の父・蘇我蝦夷
    (そがのえみし)も
    自宅にて自害したという顛末なんですが

    問題は、入鹿の父・蘇我蝦夷の役割が
    国書の管理で、彼の自宅には、
    とても重要な史書や国書、
    公文書などが保全管理されていました。
    古事記には、この時、彼の自宅屋敷に
    中大兄皇子・鎌足率いる軍隊が
    迫ってきていたところ、その屋敷が
    燃やされてしまったとあります。

    まあ、古事記にこう書かれてしまえば
    ああ、そうなんだ となるしかないですから
    真実は分からないんですが

    彼の自宅屋敷が燃える=
    それまでに伝わる歴史が消える。=焚書
    という事になります。

    もしかしたら、文章として
    卑弥呼や邪馬台国の記述が
    残っていたかも知れませんが

    これもまた、謎のままです。
    まあ、焚書した理由は 後日に任せるとして

    このようなことから、
    乙巳の変以前の
    ちゃんとした歴史は
    闇に葬られてしまいました。

    要約すると、他国の史書にある文献
    がそのまま伝えてるとは言えないこと
    (卑弥呼という名称も当て字ですから
    意味を持たせたとしたら かなり礼節を
    欠いてると思われます。)
    邪馬台国も同様に 固有の名称に
    卑や邪と言う文字を当てる理由は
    ひとえに、
    魏国が倭国をかなり下に見ていたという
    事にほかならない。
    まあ、外国人で言葉も辛うじて
    通じる程度ですし、漢字の意味を
    この当時の日本人が
    理解出来てなかったのでは?
    仮に それを理解できてたとしたら
    もっと魏国に憤慨してしまったと
    思うんです。

    卑弥呼の音だけを拾って
    考察すると
    ヒミコは
    日+巫女 日+皇子(皇女)
    日+御子(王の子) 姫+御子(王の子)
    姫+皇子(女性の皇位継承を持つの意味)
    と言ったような意味を推測できます。

    合わせて、邪馬台国も
    音だけに注意すると
    ヤマタイコク、となりますから
    大和国(ヤマトコク)【後の天皇家】に
    かなり近くなりませんか?

    この場合の大和国は 現在の奈良を
    表すと同時に 日本そのものを表しますが
    だからといって
    ここでもまた、
    邪馬台国と呼ばれる国が近畿にあった!
    とする証拠とは言えないです。

    つまり、邪馬台国、卑弥呼とは
    そもそもその名の国もその名の女王も
    存在しないと言えるのでは?

    つまり、そう呼ばれる人物は
    居たとしても その人が統治した国が
    あったとしても
    おそらくは 卑弥呼とは呼ばれてもないし
    ヒミコが名前だとは 魏志倭人伝には
    書かれてたとしても
    必ずしも イコールとは思えない。

    何せ文字が日本に伝わる前の話ですから
    勝手に名付けられた可能性は大いに
    あります。

    当時、邪馬台国にも
    同様の現象が起こってます
    ヤマタイコクとは 国内では呼んでない
    そう呼ばれてた国はあったとは思いますが
    厳密に 邪馬台国という国は
    当時からも存在していないと言えます。

    魏国の正史担当者や
    翻訳者は大変だったでしょうね。
    又聞きや、誤解もあったんだと
    推察出来ます。

    このことからも!
    無いはずの国、居ないはずの女王に
    振り回されてませんか?
    と言いたいのです。

    あくまでも私見ですからね!
    信じてる方を否定したいわけじゃなく
    まあ、素朴な疑問という感じで、、、
    (だって居たとする
    証拠がどれも不鮮明なんですもの!)

    まあ、今回は長年の論争を
    俯瞰で見て感じたことでした!!

    歴史に興味のない方には
    申し訳なかったです!

    これに懲りず また読んで
    あげてください。

    僕が純粋に喜びますw
    では!(*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/10/30

    Happy!!Halloween!!

    記念すべき(?)10回目の投稿です。
    はい!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は10/31も近いという事で
    『ハロウィン』のお話を
    させて頂きたいと思います。

    毎年、日本でもこのイベントが
    盛り上がってきましたね。
    日本のお盆のような行事くらいに
    思われる方が多いようです。
    まあ、共通項も少なくないです。

    大きいカボチャをくり抜いて
    顔を作り中にロウソクをいれたり
    また、いろいろなダークな
    コスチュームを装って練り歩き
    『ハッピー ハロウィン!』
    『トリック オア トリート!』
    (お菓子をくれなきゃイタズラするぞ!)
    みたいな雰囲気、、、
    あくまでもイメージです。

    まあ、普段買うお菓子のパッケージも
    ハロウィン仕様になってたりも
    しますから 否応なしに目にはします。

    『日本のお盆のようなもの』
    とは申しましたが、日本では
    お化けの仮装をしたりはしません。
    あくまでも、お盆は
    帰ってこられるご先祖さまや親しい方を
    歓迎し、偲んで、労い、また、
    あちらに帰っていただくと言う儀式の方が
    メインになっているという文化だと
    言えます。

    では、ハロウィンはどうなんでしょう?
    あの世から親しい人が帰ってくる。
    という所までは同じではありますが
    やはり、詳しく理解はされてる方は
    多くないと思います。

    まず、ハロウィンとは?
    スコットランドやアイルランドにいた
    古代ケルト人に起源があると
    言われています。

    ケルトの文化では1年の終わりが
    10/31で次の日の11/1が新年である
    という概念がありました。
    11/1を『諸聖人の日』
    (しょせいじんのひ)
    と言い、全ての聖人を祝福する日に
    当たります。(オール・ハロウズ・デイ)
    つまり、10/31の夜を
    『諸聖人の前夜』
    (オール・ハロウズ・イブ)
    として、前夜祭のように祝いました。
    (クリスマス・イブのような感じ)
    その日付の境目にあの世から
    亡くなった方がこちらに
    現れると言う考えですね。

    まあ、クリスマス・イブも本来は、
    イエス・キリストの誕生日の前夜ですが
    なぜかイブは前日みたいな雰囲気に
    なってますし、間違ってはいません。
    (クリスマス・イブの前日を
    イブ・イブと表すことには、
    とっても違和感がありますがw)

    このケルトの文化の名残りで
    ケルト人がキリスト教に改宗していくと
    同時に、ケルト独自の諸聖人の日
    つまり、オールハロウズデイそのものが
    希薄になり、
    (だってクリスマスが12/25なんですもの)
    ハロウィンだけが際立って残った。
    という事だそうです。

    次に、なぜハロウィンは
    お化けの格好をするか?ですが
    その10/31と11/1の境目にあの世から亡者が
    帰ってくると前述しましたが
    親しい人や良い人ばかりが帰ってくるとは
    限りません。(この当たりが欧米的ですね。)

    つまり、善し悪しに関わらず
    帰ってきますから、その時に
    子供がさらわれたり、
    なぜかイタズラされたり、
    スケールの大小はあるでしょうけど
    その夜は、何が起こってもおかしくない
    とされているそうです。

    まあ、イタズラされるくらいなら何と
    かなりますが、子供がさらわれては
    敵わないので、
    そこで、【子供らにお化けの仮装させて
    さらわれないようにしよう。】
    となり、子供たちが何人か集まって
    それぞれの仮装をし
    『トリック オア トリート!』と
    各家の玄関先で可愛く叫ぶように
    なりました。

    大人のナイトパーティや
    ホームパーティでも内輪なんで
    大人や子供もお化けやモンスターの
    仮装をして
    行ったりしますが、
    基本は子供らをお化けに
    さらわれないよう
    するが軸にあります。

    つまり、渋谷での仮装集団の乱癡気騒ぎは
    さらわれる可能性が低い
    大人の人達が起こしてるという事ですねw

    楽しむのは大いに楽しみましょう。
    あくまでも常識の範囲内でw

    まあ、子供らが
    大人がお菓子をくれなくて
    イタズラしちゃったとしても
    それは、お化けの仕業なので
    怒ってはいけません。

    だって ハロウィンですから

    ちなみに、カボチャのモンスター
    名前を『ジャック・オー・ランタン』と
    言うのはとても有名ですね。
    このジャックくん カボチャになったのは
    アメリカに伝わってからだそうで
    元々は蕪(シロカブ)を
    くり抜いて作られてたそうです。

    この起源もケルト発祥で
    現在もケルト文化が根強く残る地域では
    シロカブでランタンを作るそうです。

    このジャックくん、生前はとんでもなく
    悪い素行の持ち主で、
    生前に悪魔と出会い、
    『死んでも地獄にはいかない』という
    契約をその悪魔と交わしてしまいました。

    しかし、素行の悪さが災いして、
    天国からも受け入れ拒否されてしまい
    また、悪魔との契約の効力で
    地獄にも受け入れて貰えず
    ちゃんと死ねない迷える魂と
    なってしまいました。

    その魂だけの状態になったジャックくん
    畑の中に朽ち果て捨てられた シロカブを
    見つけ そのカブに乗り移り
    ジャック・オー・ランタン になったと
    されていたり、(悪魔と契約説)

    ジャックくんが亡くなったのち、天国の門で
    門番を騙し、この世に戻ってよしと
    言われ、いざ、元の体に戻ってみると
    既に土の中に埋められ上に
    墓標には、無縁者(ジャック)安らかに眠る。
    と書かれ、
    肉体に戻れなくなってしまいました。
    そして、再び天国の門に戻ると
    ガチギレした門番登場します。
    『おい!ジャック!
    なんて嘘をついたんだ!』
    『お前なんて、天国から出禁にしてやる!』
    と言われたジャックくん
    渋々地獄へ向かうと ケタケタ笑いながら
    近づく悪魔がジャックに言いました。
    『お前!面白いな!
    天国の門番 からかったんだって?
    で、、、天国から出禁くらったから
    地獄にやってきたってか!ウケる!』
    なんとも陽気な悪魔ですが 突如
    神妙な顔になり、悪魔はジャックくんに
    言いました。
    『天国がだめなら
    地獄ならって来たんだろ?
    それは出来ねえ相談だ。』
    ジャックくんは何故かを尋ねると
    『地獄のボスは元々、
    天国のトップクラスの天使だったんだ。
    だから、天国が要らねぇ!ってのを
    地獄が欲しい!とはならねぇ。』

    つまり、天国でいらないんなら
    地獄だってお断りっていうことらしいです。

    やはり天国にも地獄にもはいれず
    途方に暮れる ジャックくん
    以下同文、、、(身から出た詐欺(サビ)説)

    まあ、ジャックオーランタンは
    日本で言うところの鬼火(おにび)を
    指す言葉でもありますから
    (鬼火:夜中の海で船も見当たらないのに
    海面に浮かぶ炎のような光のこと)
    さまよえる魂(コープス)として
    扱われています。 シロカブが
    カボチャになった理由は
    当時のアメリカでカボチャが
    余っていたから カボチャを使ってみたら
    それがみんなに広まって 大バズり!
    という事らしいです。

    ハロウィンの時期にジャックくんが
    登場する理由は とてもあやふやですが
    同時期の話として 現在も
    語り継がれていますね。
    (日本の怪談のような位置にあると
    思ってください。)

    まあ、全ての聖人を祝福するという部分が
    『信仰の対象が代わったから薄れていった』
    という理由には
    なるほどなぁ、、、
    と思ってしまいました。
    あと、ジャックくん、、、ドンマイ!

    という感じのいつもとは
    少し違うテイストの
    お話をしてみました!

    次回もまた、お会いしましょう!
    アディオス!

    投稿日:2022/10/29

    慈悲?喜捨?ってなぁに?

    第9回目の投稿ですね!
    はい!ゴコウです。
    生粋の奈良人で、寺や神社に
    囲まれながら、鹿に怯えているようです。

    今回は『慈悲(じひ)』、『喜捨(きしゃ)』
    についてお話をさせて頂きたいと
    思います。
    よろしくお願いします。

    さて、『慈悲』または、『喜捨』を
    ご存知でしょうか?
    いずれも仏教用語から出ています。
    詳しくは分からないけど
    意味としては似たような意味なんじゃない?
    と思われている方!大正解です!
    どちらも、仏教における寄付を
    意味する言葉で現在も使われている。
    と言えます。

    「だったら寄付って
    言えばいいのに、、、。」
    と仰る方の声が聞こえてきそうです。
    『慈悲』『喜捨』の使い方は
    ともかくとして、仏教や神社において
    寄付とは別に寄付を表す単語
    結構あるんですよ。
    『慈悲』、『喜捨』
    (今回のテーマです。)
    『寄進(ご寄進)』、『布施(お布施)』
    『献金(けんきん)』(これはタイムリー)
    『初穂料(はつほりょう)』
    『玉串料(たまぐしりょう)』
    『足代』や『花代』も出自は、儀式から
    『香典(こうでん)(お香典)』
    『御香料(ごこうりょう)』などなど
    『献花代(けんかだい)』と言うのも
    キリスト教の式ではよく目にします。
    宗旨宗派が違えば名称は様々ですね。
    寄付という言葉をあえて
    避けなきゃいけないのでしょうか?
    と言うほど あります。

    では、今回のテーマ
    『慈悲』、『喜捨』とは?
    奈良人のイメージとしては、
    托鉢僧:たくはつそう
    (修行の一環として行われる。)が
    噴水の前に立ち、街ゆく人からお金を
    彼らがもつ鉢に入れたりと
    言うのがあります。お金を入れた人に
    托鉢僧はご祈念(読経)をしたりもあります。
    (本来は米や作物でも受け取っていました。)
    その一連の行為を托鉢僧側が
    お金を入れてくれた人に対して
    お慈悲をありがとうございます。
    ご喜捨くださりありがとうございます。
    という意識をもってると
    勝手に思ってます。
    (托鉢中は私語や無駄な言葉は発せないらしいので、あくまでも托鉢僧がおじぎをする
    姿を見て、そう感じる。という話です。)

    片手に托鉢専用の鉢を持ち、
    檀家さん(そのお寺の在家信者さん)や
    近隣の住んでられる方の家を巡って
    寄付(慈悲や喜捨)をして貰い
    読経を繰り返し唱えます。
    このスタイルもドラマや映画で
    よく見るスタイルですね。

    仏教用語ではありますが
    市井の人も 困窮が極まれば
    『お慈悲をかけてくたさい。』と
    言ったり、、、
    『ご喜捨くださり、
    ありがとうこざいます。』などと
    言ったりするんです。
    時代劇とか時代劇コントで
    よく見る光景です。

    単純に寄付と言う意味を持つ言葉だ
    と言うのも間違いでは無いです。
    しかし、寄付がなぜ
    慈しみ悲しむのか?
    喜んで捨てる?いずれも あまり
    意味が合っているとは思えない。

    かなり強引な表現ではありますね。
    仏教用語そのものが難解なイメージは
    強くあると言えます。

    慈悲(慈しみ 悲しむ)
    喜捨(喜んで 捨てる)
    二字熟語としては このような意味に
    なるので、想像を豊かにすれば
    意味はかろうじて通じるといった
    ところでしょうか?

    実はこれらの二字熟語
    本来の使われ方ではありません。

    一つ一つの文字がそれぞれ
    意味を持つ意味合いもありますし
    加えて四字熟語として使うのが
    本来は正しいと言われています。

    慈悲喜捨(じひきしゃ)と読みます。
    意味はとても難解です。
    慈しむ心、悲しむ心、喜ぶ心、捨てる心
    それぞれの心を
    無量(むりょう:量ることが出来ないの意味)
    に持つことが出来れば悟りは開かれる。
    という意味だそうです。

    この4つの心を無量に持つという意味で
    四無量心(しむりょうしん)と言う言葉として
    禅宗(ぜんしゅう:禅を旨とする教え)の
    禅問答(ぜんもんどう:禅宗の修行の一環)の
    かなり難しい問答として登場したりします。
    (※ファンシーダンス(1989)という映画
    オススメです。面白いです。)
    日本の禅宗として
    臨済宗(りんざいしゅう)
    曹洞宗(そうとうしゅう)
    黄檗宗(おうばくしゅう)
    この三つが代表格として
    現在も脈々と受け継がれています。

    四無量心とは?
    四梵柱(しぼんちゅう)とも言い、
    悟りを開くための一つの方法としての
    哲学であり、教えとして
    次の通りになっております。

    慈無量心:じむりょうしん
    悲無量心:ひむりょうしん
    喜無量心:きむりょうしん
    捨無量心:しゃむりょうしん

    原始仏教から唱えられている教え
    とも言われ、古くはインドの
    釈迦(ゴータマ・シッダールタ)から
    提唱されていたと伝わります。

    単純に 慈しめば、 悲しめば 、
    喜べば、捨てれば、という話にはならない
    不思議。。。いゃあ 難しい。

    釈迦曰く、
    慈しむとは 、他人の苦しみを
    我が苦しみとする。
    悲しむとは、他人の悲しみを
    我が悲しみとする。
    喜ぶとは、他人の喜びを
    我が喜びとする。
    捨てるとは、妬みや嫉み、恨み辛みの
    一切の負の感情を捨てる。
    それらの心を無量に持てば悟りは
    開かれる。 と説いてるわけです。

    ある意味、究極の教えとして
    現代にも伝わっているんですが

    そこまで達観(たっかん)
    つまり、卓越したものの見方が
    出来る人、、、いるんでしょうか?

    世俗の中に住まう僕なんかは
    絶対無理じゃん!って
    思ってしまう。 が!
    そういう心を無量に持ち得れば
    悟り開けるんだ!?
    開けるものなら 開いてみたいもんです。

    まあ、今回は 慈悲と喜捨って
    とんでもない意味があったんだぁ
    へぇ~、、、くらいに
    思っていただければ
    こちらとしても 嬉しいです。

    これに懲りず よく分からないが、
    そうだったんだwみたいな
    話をして行こうと思っています。

    すこしでも 楽しんでいただければ、、、
    楽しんでもらえて ますかね?

    一抹の不安を感じながらも
    これからも頑張ります。

    よろしくお願いします。
    (*>∀<)ノ))またねー!

    投稿日:2022/10/28

    陰陽五行とは?

    第8回目の投稿です!
    はい!ゴコウでございます。
    よろしくお願いします。

    今回はぐっと占い師っぽく
    『陰陽五行』についてのお話を
    させて頂き、、、ます!

    まあ、またにはそれっぽいのも
    いいでしょう?ということで
    さっそく参りましょう!

    そもそも『陰陽五行』って?
    ですが古代中国で編み出された哲学に
    基づく考え方です。

    『陰陽』とは?
    時の流れや季節の移ろいに
    起きまして、
    太陽あらば月、光あらば影
    と言う表裏一体で混ざるとはなしに
    切っても切り離せないものの例えを
    表します。 全てが繋がり、全てが
    関係するというイメージで
    宇宙根源の摂理とも言われていますね。
    『五行』とは?
    全ての物質は5つの元素から出来ている。
    という、西洋の四大元素や
    古代インドの四大元素に近しいですね。
    西洋の四大元素は
    土、水、風(空気)、火
    古代インド(ヒンドゥー)の四大元素は
    火(アグニ)、風(ヴァーユ)、
    水(ヴァルナ)、地(インドラ)
    仏教もこの説を吸収しています。
    (火天、風天、水天、梵天)
    陰陽道(古代中国)の五行とは
    木、火、土、金、水
    全ての物質は、この5つの元素から
    成り立っている。と言う概念です。
    例えば、人は?人に限らず
    動物(肉体)はみな土の属性を強く持ち、
    男性ならば金の属性を併せ持つとされ
    女性はさらに土の属性を
    持つとされています。
    (おそらくは、土は土を産み、また金も産む
    という事からでしょう。)

    木:もく 春を象徴し、陽を表す。
    火:か 夏を象徴し、陽を表す。
    土:全ての元素の中心で
    季節の変わり目を象徴(土用)し、
    陰陽の中間を表す。
    金:こん/ごん 秋を象徴し、陰を表す。
    水:すい 冬を象徴し、陰を表す。

    おおよそ、五行とは
    こんな属性を表しています。
    これに月と日の陰陽を付け足し
    七曜としたり、干支や十干(じっかん)にも
    大きな影響を与えます。

    さらに発展させて、
    五行相生(そうしょう)、
    五行相克(そうこく)、
    五行比和(ひわ)、五行相侮(そうぶ)、
    五行相乗(そうじょう)
    という関係性を持ち、
    必ずその関係性においては、
    延々と繋がっていくという思想に
    基づく理論を形成してます。

    相生(そうしょう)とは?
    基本的な因果関係の1つとされ、
    陽の関係という位置にあります。
    〇〇から▲▲が生まれるという意味ですね。
    木生火(もくしょうか)
    木が燃えて火が生まれる。
    火生土(かしょうど)
    燃え残った灰から土が生まれる。
    土生金(どしょうこん)
    土の中から金(金属)が生まれる。
    金生水(こんしょうすい)
    金(金属)が冷えて空気中(結露)から
    水が生まれる。
    水生木(すいしょうもく)
    水が養い育てて木が生まれる。
    (確かに土だけでは木は育ちません。)
    このように一周するから
    相生(そうしょう)と言われます。

    相剋(そうこく)とは?
    こちらも基本的な因果関係の1つで
    陰の関係という位置付けになります。
    〇〇は▲▲を
    滅ぼす(打ち負かす)という意味になります。
    木剋土(もっこくど)
    木は根をのばし土を痩せさせる。
    土剋水(どこくすい)
    土は水を塞き止め動きを制する。
    水剋火(すいこくか)
    水は火の勢いを殺し消滅させる。
    火剋金(かこくごん)
    火は金(金属)を溶かし流れさせる。
    金剋木(こんこくもく)
    金(金属)は形を変え木をなぎ倒す。
    このような陰の相性があり
    また、総じて一周することを
    相剋(そうこく)と言います。

    比和(ひわ)とは?
    同じ属性で、かつ、同じくらいの力ならば
    良くも悪くも、より勢いが
    増すという関係性を表します。
    木と木、火と火、土と土、金と金、水と水
    このような状態 バランスが重要となる。
    と言われています。

    相侮(そうぶ)とは?
    逆相剋の意味、侮とは侮辱を表し
    本来は相剋の相性であっても、
    その力の差で反剋してしまう
    関係性を表します。
    木虚土侮(もっきょどぶ)
    木の属性を持っていても、
    その力が虚弱で土に打ち勝てない様子
    【木製の箸では地面に
    穴もまともに掘れない】
    土侮木(どぶもく)
    土の属性が非常に強いと
    木の剋制の影響を受けず 逆に土が木を
    侮る様子
    火虚金侮(かきょきんぶ)
    火の属性を持っていても
    その力が虚弱で金に打ち勝てない様子
    【ライターの火では鉄は溶かせない】
    金侮火(きんぶか)
    金の属性が非常に強いと
    火の剋制の影響を受けず 逆に金(金属)が
    火を侮る様子
    土虚水侮(どきょすいぶ)
    土の属性を持っていても
    その力が虚弱で水に打ち勝てない様子
    【河川の堤防が決壊する時に
    生のコンクリートでは役に立たない】
    水侮土(すいぶど)
    水の属性が非常に強いと
    土の剋制の影響を受けず 逆に水が土を
    侮る様子
    金虚木侮(きんきょもくぶ)
    金の属性を持っていても
    その力が虚弱で木に打ち勝てない様子
    【カッターナイフで立っている
    大木は倒せない】
    木侮金(もくぶきん)
    木の属性が非常に強いと
    金の剋制の影響を受けず 逆に木が金を
    侮る様子
    水虚火侮(すいきょかぶ)
    水の属性を持っていても
    その力が虚弱で火に打ち勝てない様子
    【水鉄砲で山火事は沈静出来ない】
    火侮水(かぶすい)
    火の属性が非常に強いと
    水の剋制の影響を受けず 逆に水が火を
    侮る様子
    とまあ、、、
    かなり難解な相性をあらわしてますねw

    相乗(そうじょう)とは?
    乗とは陵辱(りょうじょく:暴力で
    屈服させる、あるいは力で辱める )
    するという意味があり、相剋の度合い
    を越して過剰に働く状態を指します。

    木乗土(もくじょうど)
    木の属性が強すぎて、土を剋し過ぎ
    土の形成が不足してしまう状態
    土虚木乗(どきょもくじょう)
    土の属性が虚弱で木剋土の力が相対的に
    強く働き、さらに土の属性が弱くなる状態
    火乗金(かじょうきん)
    火の属性が強すぎて、金を剋し過ぎ
    金の形成が不足してしまう状態
    金虚土乗(きんきょどじょう)
    金の属性が虚弱で火剋金の力が相対的に
    強く働き、さらに金の属性が弱くなる状態
    土乗水(どじょうすい)
    土の属性が強すぎて、水を剋し過ぎ
    水の形成が不足してしまう状態
    水虚土乗(すいきょどじょう)
    水の属性が虚弱で土剋水の力が相対的に
    強く働き、さらに水の属性が弱くなる状態
    金乗木(きんじょうもく)
    金の属性が強すぎて、木を剋し過ぎ
    木の形成が不足してしまう状態
    木虚金乗(もくきょきんじょう)
    木の属性が虚弱で金剋木の力が相対的に
    強く働き、さらに木の属性が弱くなる状態
    水乗火(すいじょうか)
    水の属性が強すぎて、火を剋し過ぎ
    火の形成が不足してしまう状態
    火虚水乗(かきょすいじょう)
    火の属性が虚弱で水剋火の力が相対的に
    強く働き、さらに火の属性が弱くなる状態

    比和はそれぞれの属性同士
    相侮、相乗は相生、相剋のように
    延々と繋がっていく様子を
    表しているという共通項がありました。

    つまり、個人にもそういう属性が
    多かれ少なかれ 備わる。あるいは、
    帯びていますので 持ち生まれた気質にも
    影響を大きく与えると言えます。

    僕はこれを利用して占いに大いに
    役立ている。という事、、、に
    しておきますw

    それでは 予想以上に長くなってしまった!
    と感じながら 少しでも興味を
    持っていただけると信じ!
    また 懲りずに投稿します!

    (*>∀<)ノ))またねー

    投稿日:2022/10/27

    『鬼』ってなぁに?

    第7回目の投稿です!
    はい!ゴコウでございます。
    よろしくお願いします。

    今日は『鬼』とやらの
    お話をさせていただこうかしら、、、
    なんて事を思っています。

    皆さんは『鬼』にどんなイメージを
    お持ちでしょうか?

    実在するの?空想?怖いの?
    優しいのもいる?
    おそらくはこんな所でしょうか?

    童話やおとぎ話にも登場しますから
    おそらくは、カッパや化け狸、化け狐に
    並んで、とても知名度の高い悪役と
    言う存在でしょう。

    桃太郎、一寸法師、酒呑童子、
    こぶとりじいさん、泣いた赤鬼
    などなど とてもバリエーションに
    富んだ物語が多く
    悪役ばかりではなく
    時にはユーモラスに
    時にはシリアスに登場する
    いわば、名脇役と言った立ち位置を
    確立しています。

    その起源とは?
    実は、いくつも説が存在しまして
    絶対にこれ!って言うのは
    とても難しいのが『鬼』なんですよ。

    日本に伝わる鬼としての発祥として
    最古と言われるのは
    奈良市にある元興寺(がんごうじ)の
    鬼伝承では無いかと思います。

    この元興寺、
    単にお寺の名前と言う意味だけではなく
    がごじ、がごぜ、ぐわごぜ、
    がんごう、がんご、
    これらは全てお化け、妖怪や
    鬼そのものを表す方言
    として各地に伝わり、
    その語源が元興寺であると伝わります。

    現在でも鹿児島の一部で
    鬼を指す方言をがごじ、がごぜ
    として残っているそうです。

    ようは、元興寺に棲まう鬼が居た
    という物語が鬼物語の起源であると
    言えます。

    その物語は平安時代初期に書かれた
    『日本国現報善悪霊異記』
    (にほんこくげんほうぜんあく
    りょういき)
    という長いタイトルがついてまして、
    略して『日本霊異記』
    (にほんりょういき)
    略しても長いです。はい

    この書物が日本最古の逸話集となり
    この逸話集の中に
    元興寺の鬼という物語が
    あります。

    その物語を要約すると
    飛鳥時代のころ、
    愛知に住んでいた農夫婦がとある経緯で
    天空より落ちてきた雷神と出くわし
    その雷神を助けた
    助けられた雷神はお礼に
    雷神のようにとても頑丈で
    力強い子を夫婦にさずけました。

    その子は齢10歳にして
    力自慢の皇子と力比べをして
    負かしてしまうほどの怪力で

    雷神の加護に違いないと
    その子を奈良の元興寺に寺小僧として
    預けました。

    その頃、元興寺では毎夜のこと
    夜中に鐘楼の近くで
    寺小僧が鬼に殺されるという事件が
    頻発していました。

    雷神の申し子は、その話を
    ほかの寺小僧から聞き
    今日こそは、我が鐘楼の番をして
    その鬼とやらをとっ捕まえてやるから
    小僧共も手伝えといい、
    小僧達も了解しました。

    その夜、鐘楼で待ち構える雷神の申し子に
    襲いかかる鬼 申し子は鬼の髪を掴み
    力の限り振り回して 捕まえたぞ!と
    叫びましたが あまりの怪異に
    恐れおののいた寺小僧達は我先にと
    逃げ帰ってしまいました。

    雷神の申し子と鬼の格闘は続きます。
    雷神の申し子は掴んだ髪を引きちぎり
    たまらずに鬼はやっとの思いで
    明け方近くに逃げることが出来ました。

    朝になると雷神の申し子の両手には
    鬼の髪の毛が束になって残り

    その抜けた髪を辿っていくと
    その昔、元興寺で働いていた
    身寄りのない下男の墓まで続いており
    その下男の死霊が霊鬼として
    現れたと伝わります。

    雷神の申し子が引き抜いた鬼の髪の毛は
    元興寺の宝物として遺されていると
    日本霊異記には記されています。

    この雷神の申し子がのちの
    道場法師(どうじょうほうし)と呼ばれる
    名僧になったと言うところで
    鬼の物語は締めくくられています。

    平安時代の初期ですから西暦790年代から800年代の前後に書かれた書物に
    飛鳥時代は西暦592年から
    710年の平城京が出来るまでの
    飛鳥(明日香)に都があった時代ですから、
    単純に今から1300年前に1500年前の
    鬼の伝承を描いてると言う事になります。

    つまりは、今より
    1300年前には少なくとも
    鬼が認知されていたという事
    そして、その時代より200年近く昔の
    実在する寺や僧侶、墓地に至るまでを
    かなり詳細に描かれています。
    口伝だけで伝えるには
    ディテールに凝ってますね。

    おそらくは、道場法師と元興寺は
    実在した可能性が高い。
    現に舞台となった元興寺は現存しています。
    そして、不幸を蒙って死んだ男の墓も
    現存しています。(元興寺敷地内に)

    つまり、すぺてが全て、
    創作したとは言えないという事です。

    その最古の時点で すでに『鬼』と
    明記している訳ですから

    日本の鬼のルーツであっても
    鬼そのもののルーツとは
    言えないようです。
    少し残念!!!

    では『鬼』のルーツを考察して行きます。
    おとぎ話に限らず
    鬼は悪いものの象徴、強いものの象徴
    として扱われています。

    例えば、酒呑童子や茨木童子、牛鬼、
    これらの鬼を退治したとされる英雄
    源頼光(みなもとよりみつ・らいこう)
    とその頼光四天王と呼ばれる武将
    渡辺綱(わたなべのつな)、
    坂田金時(さかたのきんとき)、
    碓井貞光(うすいのさだみつ)、
    卜部季武(うらべのすえたけ)
    倒す鬼が強大ならば彼らの武名も
    さらに上がります。

    ちなみに、坂田金時=金太郎です。

    平安時代はまさに鬼が名を馳せ
    また、英雄もさらに名を馳せた
    時代でもあります。

    渡辺綱は茨木童子の腕を切り落とした
    逸話が有名です。

    同じく平安時代の超有名な荒法師
    弁慶入道(べんけいにゅうどう)
    ゆわゆる 義経の一の家来です。
    この弁慶の幼名は鬼若丸(おにわかまる)

    義経ゆかりの人物でもう1人
    鞍馬山の天狗といわれた人物で
    幼い義経(牛若丸)の庇護者の名前にも
    鬼が付いてます。
    鬼一法眼(きいちほうがん)
    まあ、伝説上の人物で
    弁慶ともども実在はかなり怪しいですが

    ここで新たに 強いに加えて 怪しい
    妖しいというイメージも強くなりました。

    つまり、平安時代には
    『鬼』の存在が定着してたみたいですね。

    おそらく『鬼』は仏教伝来と共に
    日本に入ってきた概念ではないかと
    思います。

    仏教の敵対する存在を『鬼』としていたり
    修験道と合わさって
    使役できるものを『鬼』と言ったり
    また、敵を倒す神として
    『鬼神』という概念も開花しました。
    強い武将の例えにもよく使われますね。

    『鬼より怖い鬼島津』や鬼小十郎
    鬼半蔵、鬼柴田、などなど
    戦国武将に鬼~と付けられる方が
    多いというのも面白い。

    中国から渡ってきた漢字なら
    鬼:クィ となりますから 音読みのキ
    に近いので 納得はできます。
    しかし、訓読みの おに は
    どこから???
    角があって 赤やら青やらの肌で
    筋肉隆々で力がとても強い
    という鬼のイメージ 虎の腰巻込みで
    それらも実は中国から伝来してます。

    艮(うしとら)の方角(北東)に
    鬼門があると言うのは 方位や風水、陰陽道に詳しい方はご存知だと思いますが
    たんに鬼が出入りする門だと思って
    おられませんか?

    実は少し違う。中国の隋や 唐の時代
    律令制度を使っていました。
    それをモデルに平城・
    平安は構築されていくのですが
    それは人が人に対しての法の遵守に
    留まらず すべての事象に対して律令制を
    求めたことが基本にあります。

    つまり、古代中国では 鬼にすら法律を
    課していたという事なんです。
    それが律令制度

    つまり、艮の方角にある門は
    鬼門と呼ばれて、縁起のあまり宜しくない
    例えにもなっていますが、
    正確には 鬼ですらとても恐れる門
    という意味合いがあります。

    律令制において、世の中の『鬼』は全て
    年に一度 その門をくぐらなければ
    ならない という決まりがあり
    その門には、鬼一人一人の一年の行いを
    確認する門番が陣取り
    人間に対して、酷い行いをした鬼は
    虎に噛み砕かれるという罰を
    与えられたのが
    鬼の恐れる鬼門のお話

    艮の覚え方にも
    鬼が憂し(うし)、
    虎(とら)に噛まれる鬼門なり
    はという流歌がありますね。

    つまり、どういう鬼が罰を受けたか?
    人間に対して酷いことをした
    鬼全てが対象ですね。

    鬼は人に姿が見えません。
    なのに、人に対して酷いこととは?
    病気や怪我、事故、その他もろもろの
    人自身が嫌だと思うこと全てです。
    仮に人がそういう状態なると
    陽気では居られないばかりか
    陰気に包まれますね。

    はい出ました!鬼のルーツ!
    陰(いん)の気
    陰:かげ、いん、おん
    などと読むことがあります。
    病気や嫌なこと、悪いこと全て
    鬼の仕業と考える前は

    陰に潜んで悪さをする存在という
    意味合いから おん や いん
    と呼んでいたのが訛って
    (おに) という呼び名で
    定着したというのが答えです。
    そして、漢字の鬼(クィ、キ)に
    (おに)と言う名称が充てられたのは

    イメージのおに に近しい存在を
    指し示す漢字が『鬼』だったから
    でしょうね。

    今日も 不可思議な話になってしまいました!

    それでは またお会いしましょう!
    まったねー!

    投稿日:2022/10/26

    生まれ変わりとは?

    第6回目の投稿でございます。
    はい!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は『生まれ変わり』について
    あれこれ話していこうか。
    と考えております。

    皆さんは『生まれ変わり』は
    ご存知ですか?宗旨宗派によっても
    また、前前世や前世、そして、
    来世や未来世の概念にも
    大きく関わりますよね。

    また、その『生まれ変わり』を
    否定している教えもあると言うのも
    事実です。 その是非をこの場で
    とやかく言うつもりは
    全くないので、あくまでも
    そういう概念がありますよー。
    程度のお話です。

    日本における『生まれ変わり』の
    概念として、最もポピュラーな概念を
    挙げるとしたら、やはり仏教
    となるのでしょうか?

    仏教において
    『生まれ変わり』を『輪廻(りんね)』
    あるいは『輪廻転生(りんねてんせい)』
    と言ったりしますが厳密に申せば
    原始の仏教経典に『転生(てんせい)』
    という言葉はどこにも見当たりません。
    この概念も実は、かなり細かく設定
    されております。
    (はたして、設定というべきか?
    教えというべきか?)

    一言に仏教と言っても
    『輪廻(転生)』をしないとする宗派も
    ありますし、さらに申せば
    『輪廻』してもしなくても良い
    とする宗派もございます。

    ちなみに、日本の神道にも
    輪廻や転生と言う
    概念は全く見当たりません。
    強いて申せば
    人の世を現世(うつつよ)
    死後の世を幽世(かくりよ)と言い、
    大雑把に申せば2層構造のようなもの
    目には見えず、意識も出来ないが
    存在するし、死後の国を黄泉の国
    と言ったり、根の堅洲国と言ったり
    神道においては、生きてる死んでるの
    差はあまりない印象を受けます。

    話を戻して、仏教においては
    浄土(じょうど)系と
    呼ばれる 中国発祥の浄土教の
    流れを汲む仏教
    (日本で言えば、
    融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗、時宗など)
    が『生まれ変わり』を否定的に
    捉えてると思われます。

    この浄土系の仏教では、
    基本的に命が尽きた後、
    そのまま阿弥陀如来(あみだにょらい)が
    統治している極楽浄土へ直行するので
    他宗派で見られるお盆や戒名、法名
    と言ったものも本来ないと
    されています。
    (かなり乱暴に端折りましたね。
    すいません。)

    なぜ浄土系の仏教では
    『輪廻』を否定しているか?
    ですが、全ての浄土系仏教が
    はっきりと否定している訳ではないです。
    極楽浄土に身を置くことが悟りを
    意味する。(即身成仏(そくしんじょうぶつ))
    という見解もあれば
    一時的に極楽浄土に留め置かれている
    という見解もあったり
    また、その魂の意志によって
    転生するか否かを選択できたり
    客観的に必要とされれば
    転生させられたりも
    あると言われています。
    ああ、かなりフレキシブルな対応ですな。
    しかし!なぜ比較的
    否定側に身を置くかと言うと
    次のようなエピソードに
    寄るところが大きいと思われます。

    浄土系の本尊仏 阿弥陀如来が
    如来(悟りを開いた仏)に
    なる前の修行中の時のお話で、
    如来になりたいから
    頑張るために誓い(請願(せいがん))
    を48個立てました。
    ようは、如来になったら
    この48個の願いは絶対叶えてやるさ!
    みたいなお話。

    その48個の誓いの中に
    《生きとし生けるものの命が
    尽きた時そのもの達は
    全て極楽浄土に無条件で招待するよ!》
    と言う内容のものがあったことに
    由来しています。

    どの如来がどの浄土を統治しているかは
    割愛しますが、
    阿弥陀如来が統治する浄土が
    極楽浄土(ごくらくじょうど)
    西の方角にあるとされますから
    西方浄土とも表します。

    要約すれば、浄土系には
    地獄行きそのものがない
    という発想に基づくと言えます。

    方や、『輪廻』を説いている仏教は
    数多くあり、例えば
    真言密教、天台密教、日蓮宗などなど

    原始経典には『輪廻』と言う言葉あるが
    『転生』という言葉がないと
    先にも申しましたが
    これまた、似た意味を持つ言葉で
    厳密は少し違います。

    『輪廻』:りんね
    生きとし生けるものすべて
    死してなお、得を積む(修行)ために
    生まれ変わり、そして死ぬを
    繰り返す。まるで輪のように
    連なっていく という意味がある。

    『転生』:てんせい
    生まれ変わる こと自体を指す言葉で

    輪廻転生とセットに使われるのが
    本来望ましいらしいです。

    原始仏教の経典には
    死んでから転生される先がいくつか
    あると記されています。
    おおむね以下の通りです。

    天道:てんどう
    天人や天女が住まう煌びやかな世界
    人道:じんどう
    人やすべての生き物が混在する世界
    餓鬼道:がきどう
    強烈な飢えと渇きに襲われる世界
    修羅道:しゅらどう
    争いや紛争が絶え間なく続き戦いを
    否応なしに強いられる世界
    畜生道:ちくしょうどう
    虫や獣として生まれ、生まれた時から
    徹底的な弱肉強食の世界
    地獄道:じごくどう
    地獄の住人として生まれる世界

    これらの転生先を六道(りくどう)
    それらの転生先を絶え間なく巡っている
    という意味で『六道輪廻(りくどうりんね)』
    あるいは『六道転生』といわれてます。
    有名なマンガの技としても
    出てきましたよね?(Nルト疾風伝とか?)

    ここで注意すべきは
    輪廻転生そのものが
    修行であるという点
    例えば、
    死んだ先が仮に地獄行きが決定するか
    それとも極楽行きになるかどうかも、
    裁判で少しずつ決めていくという
    システムが採用されています。

    仏教の死生観にも直結しますが
    法名や戒名も ようは出家した後の名前
    ですから 転生があると説いている宗派
    の葬儀または法要として
    初七日、四十九日、百箇日、
    一周忌から三、七、十三、十七、
    二十三、二十七、三十三、三十七、
    五十、百回忌まで行うとされています。
    これもまた、一般的な事情では
    有り得ないので大体 死後49年目に
    行うとされる五十回忌か
    26年目に行うとされる二十七回忌で
    忌明け(きあけ)、つまりその後の
    法要は気を遣わなくても良いと
    されています。

    つまり、法要=地獄に行くか
    極楽にいくかの裁判が
    行われるタイミングですから
    単純に死後26年後に転生できる状態になると言っても間違いじゃないんです。

    ごく稀に、タイミング次第では
    親しい方が亡くなると同時に
    生まれた子を
    その方の生まれ変わりとして
    扱うケースもありますね。

    そのタイミングも人によって様々では
    あると言えます。

    ここで!!!飛んでもないことを
    言ってしまいますが、、、

    仏教を作った釈迦(しゃか)如来ですが
    この『輪廻』つまり、生まれ変わりを
    実は、全否定してます。

    まあ、生まれ変わりそのものを
    否定している訳ではなく
    生まれ変わり続ける=修行なので
    その『輪廻』の無限とも言える
    ループから脱さないと 行けないよ。

    という意味の否定ですね。

    その生まれ変わりの
    無限ループ状態から脱することを
    『解脱(げだつ)』といい、
    悟りを開いた状態、つまり
    如来になった事を意味します。

    釈迦は誰だって頑張れば
    (生きて死ぬことそのものが修行です。)
    その『輪廻』から解放されて
    悟りがひらけるよ!
    悟り開くと 楽しいよ!
    っていう感じのことを説いてます。
    教義としての仏教は
    色々な形で世界に広まって
    今日の仏教となっています。

    つまり、『輪廻』や『転生』を
    理解するならば
    前世が人として
    今世も人で
    来世も人でありたい
    という状況は 究極のレアケース
    と言えるのです。

    では他の国の『生まれ変わり』として、
    (仏教も実はインド発祥だったり、、、)
    インドやバリ島などで信仰されてる方が
    非常に多い世界三大宗教のひとつ
    ヒンドゥー教の中の生まれ変わり
    のお話から
    ヒンドゥー教で生まれ変わりと言えば
    最もメジャーなものは
    カースト制度では無いでしょうか?

    バラモン(僧侶)を頂点に
    クシャトリヤ(武士)
    バイシャ(商人)
    シュードラ(奴隷)

    学校で習ったのはこんな感じ
    でしたかね? 大きくわけて4つに分類
    されてます。と 本当に
    大雑把に学んだ記憶があります。

    実際は、さらに細かく
    屋根の下には暮らしてはダメな
    カーストや
    合法の労働で得た収入では
    生活ができないカースト
    (泥棒、窃盗や非合法な労働のみ)
    というのもあるそうで

    しかも、このカースト制度の
    特徴は、完全な世襲制で
    そのカーストに生まれた場合
    生まれ変わっても
    余程のことがない限りは
    同じカーストから生まれる。
    と言った点ではないでしょうか?

    ハイカーストはハイカーストに
    生まれ続け、
    ローカーストはローカーストに
    しか生まれない
    さらにそのルールは
    ヒンドゥー教を否定しない限り
    変わらないというのも特徴的で
    非常に過酷なローカーストの
    人達は、生まれた直後から
    これから先死ぬまでいいことは無いんだよ。
    とヒンドゥーの神々に保証されている
    様なものだと表現した人は
    少なくありません。

    そのカーストから排除された人を
    ハリジャン(神の子ら)と名付けて
    仏教への改宗を促そうと
    国を上げて行いましたが
    結局のところ
    あまり上手く行きませんでした。

    それだけヒンドゥーに生まれたからには
    どのような身分でもヒンドゥーを
    信じたいという事なんでしょうね。

    世界が変われば
    『転生』も色々ですね。

    中華思想や中南米のヴゥードゥー
    北海道やロシアのアイヌの神々や
    沖縄の先祖信仰
    モンゴルの英雄 チンギスハンも
    蒼いオオカミの生まれ変わりと
    伝わりますし、
    信仰や伝説、伝承 多種多様ですね。
    特に、アジアや中南米あたりに
    転生や生まれ変わりを含んだ
    信仰が盛んな気がします。

    ちなみに地獄道に転生すると
    死者の地獄行きとは違いまして。
    簡単に言えば
    地獄で働いている鬼は
    地獄生まれで地獄育ちですよ。
    という事

    地獄で責めを負うのは
    亡者だけです。
    年に一度、 掃除する為に
    地獄の釜が開きます。
    この時に亡者が帰省する
    行事が 盂蘭盆会(うらぼんえ:お盆)です。

    時期や内容に似た行事で
    施餓鬼法要(せがきほうよう)という物が
    あるんですが 厳密には少し違います。

    盂蘭盆会は 地獄や極楽から
    亡者が帰省する行事

    施餓鬼法要は、飢えや渇きに苦しむ餓鬼
    (子供を指す方ではなく 餓鬼道の住人)
    に施しや喜びを与え、
    苦痛を和らげるための行事

    お盆は あの世からこの世へのアプローチ
    (迎えたり 送ったり
    飾ったりはこの世の役目)

    施餓鬼法要は、先祖供養の一環として行う。
    この世から餓鬼道へのアプローチ

    こういう違いがあります。

    盆踊りのルーツとかも
    エピソードには事欠かない
    テーマなんですが

    まだまだ言い足りない感も
    あります、、、。
    しかぁし!今日はこの辺で!

    またね!!

    投稿日:2022/10/25

    『恋』と『愛』ってどう違う?

    はい!第5回目のコラム投稿!!
    ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    今回は永遠のテーマ。。。
    と言うほど深い話ではないんですけど
    《本来は》ということを踏まえて
    お話させていただきます。

    ※あくまでも漢字としての見解ですので
    批判や批評は受け流させていただきます。

    恋と愛 まあ、恋愛と書くことも
    多くあります。

    恋には下心 愛には真心と
    言ったり、恋は一過性で
    愛は恒久と表したり
    恋は特定されて使い
    愛は不特定に使う。
    という価値観もあります。

    とまあ、例えれば
    際限なく出てきますね。

    似たような意味を持つ
    『恋』と『愛』ですから
    便利に使い分けることが
    あって当然と言えば当然ですね。

    しかし、本来の漢字の生い立ちや
    歴史を知ることで 新たな発見も
    あればいいなぁ、、、。
    と、思う今日この頃です。

    では、本題に参ります。
    (覚悟はよろしいですか?)

    あくまでも漢字としての話ですが
    『恋』と『愛』に意味の違いはない!
    これが結論です。

    こう言ってしまうと話は
    終わっちゃうんですが、
    その根拠もちゃんと
    用意しておりますのでご安心下さい。

    まず、『恋』ですが、
    旧字体では『戀』と書かれていまして
    この字の覚え方も
    なかなかロマンチックなので
    ぜひ覚えて見てはいかがでしょうか?
    《いと(糸)おしい、いと(糸)おしいと
    いう(言)こころ(心)》
    まあ、あえて使うことがない限り
    この旧字体を目にすることは
    ないと思いますがww

    この恋(戀)という字は
    漢字文化圏の国
    中国、韓国、台湾でも同じ意味として
    通じますが
    この文字の多用性は日本が
    ぶっちぎりでトップでしょうね。
    中国や台湾では 愛(爱)を
    よく多用されているそうです。
    (恋爱(台湾)、戀爱(中国))

    まあ、ひらがなと組み合わせれば
    ボリュームは増します。
    (恋しい、恋煩い、恋敵、横恋慕などなど)

    恋という文字はいつ頃から
    使われだしたか?
    恋しい(こひしい)と表記されたのは
    平安時代ごろの歌集(万葉集)や伊勢物語に
    古比しき、孤非しい、(いずれも こひしき)
    とか書かれているのが見受けられます。

    その表現が恋しいと繋がりますが
    当時の使い方としては現代とは少し違い、
    可愛い や 愛らしい という意味合いが
    とても強いように思います。

    対して、『愛』という字ですが
    こちらの出自として最も有力なのは
    仏教用語としてまずは伝わりました。
    愛染明王(あいぜんみょうおう)と
    いう神仏の名に含まれたり
    仏教や密教における意味の愛が伝わり、
    地名や固有名詞としての
    使われ方に留まりました。

    その理由は 伝わった当時の
    愛という字の意味の特性に
    よると言われています。

    愛:煩悩の1つとして数えられ
    情熱的に本能を狂わせる物の例え
    という注訳が付随されてきたそうです。

    とまあ、そういう物の見方というか、
    ひとつの価値観としての『愛』という字が
    日本に伝えられたと言う歴史があります。

    出自が仏教用語ですから
    意味はともかく
    ありがたい文字として扱われ
    地名や固有名詞などに使われましたが
    ごく限られた階級(公家や貴族、僧侶)の中に
    流布されたという事に留まります。

    同じ平安時代付近に漢字として
    日本に伝わりましたが 『恋』という字は、立場の貴賎に関わらず 短歌や和歌、当時の流行り歌、当時の芸能 と言ったように
    広く、また多く使われ 徐々に
    流通していった経緯があり、

    一方で『愛』は仏教用語から端を発し、
    その仏教用語では煩悩の1つとして扱われ、
    また、難解なイメージも相まって
    平安の時代には一般的にはほとんど
    流通しなかったと考えられます。

    時代が降り、
    平安時代末期、鎌倉時代初期にかけて
    行われた日宋貿易や
    室町時代の日明貿易で再び『愛』
    と言う文字に脚光が当たります。

    その当時、好きな相手を《恋しい人》や
    結婚した男性が自分の妻を《恋女房》と
    言ったり、誰かに言われたり、
    ラブレターを《恋文》と言っていたり。
    すでに『恋』という字は
    一般的にも、流通していたと
    推察できます。

    そんな最中、
    日宋貿易や日明貿易によって
    当時最先端の使い方や読み方をされた
    『愛』が
    再び上陸しました。

    現在でも中国や台湾では
    日本で言うところの恋人を指す単語を
    《愛人》と書いてアイレンと言います。
    日宋貿易、日明貿易の当時も
    『愛』という字が使用された最先端な言葉を
    和訳して意味を詳しく調べたでしょう。
    これは、、、
    我爱你は ウォアイニー:愛してます。
    という意味なのか!!!
    見たいな感じで、
    有識者や知識人はこぞってこの言葉を
    持てはやしました。 とにかく
    大流行したということです。

    その影響があったかなかったかは
    分かりませんが
    戦国時代、越後の上杉景勝家臣
    、直江兼続の兜飾り 『愛』の前立ては
    特に有名で後世の世である平成には
    大河ドラマ、ゲーム、アニメなどにも
    登場し、注目されましたね。
    《一説には愛宕山や愛宕神社に
    由来する霊験の加護を期待して
    兜の前立てにしたと言われています。》

    つまり、『恋』の意味は既存のまま
    にあったにも関わらず
    その言葉と同じ意味を持ち、
    当時最先端な文字として
    もてはやされたのが『愛』
    という歴史があります。

    この経緯からも
    『恋』と『愛』は本来
    同じ意味を指し示す文字で
    あったと考える所以です。

    時代もさらにくだり
    明治時代、大正、昭和を経て
    第二次世界大戦後に
    それまでは、妾(めかけ)、
    婚姻別の不倫相手、
    あるいは男妾(おとこめかけ)に対して、
    未婚交際相手の場合の
    《恋人》に似た言葉に対し、
    《愛人》と
    称したのが最初だそうです。

    それ以前の時代では
    不倫相手という概念が
    そもそも曖昧で 不倫(不道徳倫理)と言う
    言葉すら無かったそうです。

    そして、現代において
    『恋』と『愛』の使い分けの
    バリエーションは多種多様になり
    どれが正解!ということもなく、
    飽和した状態にあると言えます。

    とは言いましても
    本来、同じような意味を持つ2文字の
    熟語としては 前述の《霊魂》に
    とても近いと思います。

    しかし《霊魂》は
    厳密には別物として伝わりましたが
    近しいからセットになったようですし

    《恋愛》は
    本来、全く同じ意味を持つ字2つが
    セットになったにも関わらず
    意味の違いに紛糾したりと

    そういう意味では
    《霊魂》や《恋愛》のように
    真逆の属性が
    ある二字熟語は
    他にもあるんでしょうか、、、?

    他にもあるかどうか また調べておきます。

    いやぁ、、、漢字って
    奥が深いですねぇ

    それではまた いずれ!

    投稿日:2022/10/24

    魂?霊?どう違う?

    お久しぶりです!
    ゴコウです!コラム第4回目の投稿!
    さっそく初めて参りましょう。

    今回は『魂』と『霊』の違い?
    です。 よく似た意味を持つ言葉ですね。

    時には混同したり、また時には
    全く違う扱いをしたり
    詳しく知る人は
    あまり多くは無いと思います。

    ちなみに このふたつの言葉は
    本来、いずれかで使うより
    『霊魂(れいこん)』と現すのが
    望ましいとされています。

    「だったら同じ意味でいいじゃん!」
    という声が聞こえてきそうですね。

    まあ、ここが混乱の起点でもあるんですが
    同じような意味を持つ2文字の熟語で
    『恋愛』という言葉があります。

    恋と愛の明確な違いは次回に譲るとして
    多くの方はこの2文字の熟語は
    それぞれに意味がある。と
    考える方はとても多くいると
    思います。

    でも『霊魂』は 同じ意味なんでしょ?
    と言われますか?

    答えは 《NO》似てはいますが
    意味合いとしては 全く異なります。
    そして、その違いを知るとはなしに
    皆さんは、明確に分けていると
    思います。

    まず、《霊魂》とは?
    身体の中のどこかにあると言われる物で
    混ざるとはなしに
    存在すると考えられます。

    頭にあるとも 胸にあるとも
    心臓にあるとも 一般的には
    目に見えない未知なる原動力
    とも 色々言われてますね。

    中国語では『霊魂』を
    『魂魄(こんぱく)』と呼ばれて
    いるそうで、意味は同じと
    されています。

    一説によると
    霊と魂は死ぬ時に始めて
    身体から抜けて 別々に分かれて
    それぞれの場所に行くと
    しています。

    日本の神道では
    御霊を《みたま》と
    読んだりしますが
    神道における神それぞれには
    いくつもの魂があるという
    考え方もあり、
    荒御魂(あらみたま)
    和御魂(にぎみたま)
    幸御魂(さちみたま)
    奇御魂(くしみたま)などなどと
    顕して、別々に奉られたりします。

    さらに混乱を招く使い方でも
    あります。

    では、『霊』とは?
    ズバリで言うと 《感情》を
    指す言葉と捉えていただいて
    いいと思います。

    その定義として
    【生きているかどうかでは無い】
    という部分はとても重要で

    身体が生きている状態なら《生霊》
    身体がすでに死んでいる状態なら《死霊》
    悪いものなら《悪霊》
    怨念が強ければ《怨霊》
    人や生き物以外(海、山、天、地
    土地、川、岩、花などなど)
    の感情は《精霊》
    肉体がなく幽(かすか)な感情は《幽霊》

    大まかな例えとしては、こんな感じです。

    ではなぜ?霊=感情なのか?
    ですが、
    例えば、嘆いている人や
    泣いてる子を
    "慰める(なぐさめる) "という行動によって
    気持ちを和らげたりしますが

    何が慰められるか?と考えた場合
    気持ちや感情に対してしか
    あまりこの言葉を選ばないと
    思いませんか?

    つまり ほぼ感情に対してしか使えない
    この慰めるという動詞は
    霊に対しても 使われます。
    《慰霊(いれい)》
    慰霊祭、慰霊碑などなど

    つまり、知らず知らずの内に
    皆さんは【霊=感情】として
    扱っている。と言えます。

    一方、『魂』は?
    ある種のエネルギーを指す言葉
    と捉えて頂いて差し支えありません。

    しかも、充電もできれば
    宗教によっては
    再利用可能なエネルギーとも
    捉えられます。

    疲れた時に温泉に浸かったり
    マッサージなどを施術した時
    あたかも生き返った心持ちに
    なったりしませんか?

    疲れた状態を《充電不足》の状態
    癒された状態を《充分に充電》された状態
    と言うことが出来ます。

    さらに、宗旨宗派によっては
    生まれ変わりを説いた物が
    数多くあります。

    つまり魂の再利用という価値観で
    リユースする前に
    ちゃんとリセット
    (主に記憶や経験値)されて
    リスタート(生まれ変わり)
    されます。
    仏教における《輪廻転生》と
    言われる概念ですね。

    この輪廻転生についても後日に
    詳しくお話したいと思います。

    魂は儀式、儀礼、努力や研鑽などの
    行動によって変化するものと
    言われていますね。

    葬儀ではこの魂の部分を浄化、
    あるいは昇華させる意味合いが
    強くあります。

    つまり、長年の疑問がひとつ解消
    されました!
    『葬儀や葬式を行っているのに
    なぜ、幽霊として出てくるのか?』
    答えは、前述の通り
    儀式によって作用する部分は
    魂だから です。

    悪霊退散や怨霊調伏といった呪術も
    例として少なくありませんが、
    一般的とは言えない。
    (厄祓いが最も一般的かな?)
    特別な状態だからこそ
    漫画やアニメ、映画の題材に
    なりやすいと言えます。

    魂=エネルギーですから
    当然、制御できる状態ばかりとは
    限りません。

    しかし!
    感情とは違いますから
    "慰める"という言葉は
    まったく相応しくない。
    (慰霊はあっても慰魂とは使わない。)

    しかぁし!
    制御不能な魂
    (神道における荒御魂(あらみたま))
    は鎮めることは出来ます。
    その行動を『鎮魂(ちんこん)』と
    言います。

    鎮魂の碑、鎮魂歌、鎮魂祭、
    地鎮祭も土地の神を鎮めるための儀式
    ですね。

    この魂=エネルギーは
    他にも活用されます。

    努力や研鑽によって
    魂を高めることが出来たり
    物に封じる。または籠(こ)める
    出来るとされています。

    包丁職人の魂の籠(こも)った逸品
    スゴく価値がありそうな表現です。

    この場合は魂=技術の高さ
    とも言えますね。

    高校球児の魂の籠った1球
    『一球入魂』と言ったり

    仮に『霊』と『魂』が
    同意語なら
    包丁職人の霊の籠った逸品、、、?
    妖刀かなにかでしょうか?
    一球入霊、、、?
    打つとなにか祟られそうです。

    つまり、同意語に扱うには
    無理がある。という意味を
    皆さんは 知っておられる。
    と言えるのではないでしょうか?

    しかし、この『霊』と『魂』
    近しいが別々の意味を持つ言葉
    という話をつらつらと書きましたが

    この2つの言葉はとてと相性が
    良いという面もあり 非常に
    親和性が高いんです。

    一見しただけでは
    違いに気づきにくい
    酒と水のような関係性と
    言えるほど 相性がいい、、、。

    霊=感情といいましたね。
    例えば 老舗を代々繋げてきた家に
    生まれたとします。

    受け継ぎたい気持ち(霊)
    として、気持ち(霊)だけでは
    継承出来ない。

    継承する為に気持ち(霊)も必要
    なのはもちろんですが

    老舗として培ってきた技術(魂)
    も習得する必要がある。と
    いうことですね。

    むしろどちらか一方では
    老舗としては 成り立たないとも
    言える。

    霊が気持ち
    魂が実際に繋げてきた技術

    両方合わさって老舗を
    動かす《霊魂》になる。

    という感じです。

    今回も長かったですかね?

    時間のある時にでも
    少しずつ 読み解いて見てください!

    では!またね!

    投稿日:2022/10/23

    神さま ってなぁに?

    第3回目のコラムです。
    はい!ゴコウです!

    今回は『神』についての考察を
    していこうと思います。

    世界各地に様々な神様が居られると
    思いますが、《神の定義》とは?
    どこにあるんでしょうね?

    日本の神道や仏教にも
    多種多様な神様がおられます。
    神道で分かりやすく申せば
    《八百万の神(やおよろずのかみ)》
    と言われたり、また性格や能力も
    様々です。

    仏教に至って申せば
    仏と神は同じものを指す言葉では
    ないようですが
    その違いもハッキリしてませんね。
    仏とは別に 《垂迹神(すいじゃくしん)》
    と呼ばれる神様も仏教に含まれたり
    修験道に含まれたりと
    その数すら容易に把握できません。

    これは、あくまで日本の中のお話
    では世界に目を向けて見た場合
    中国あたりでは、神仙信仰であったり
    道教であったり 英雄が神様となる例も
    少なくありません。

    インドでもヒンドゥー教、シク教、
    ゾロアスター教、ジャイナ教、仏教
    例えあげれば これまたキリがない。

    ヨーロッパでもギリシャ神話、
    北欧神話、ケルト神話、バルト神話 etc...

    アフリカ、オセアニア、
    北米、中米、南米、北極圏に住まわれる方
    にも独特な神が信仰されています。

    では?日本の天照大神とキリスト教における
    唯一無二のヤハウェは同じ神でしょうか?

    インドのシヴァ神と、ギリシャの全知全能の神ゼウスは同じ神?

    答えは明確
    全く性格の異なる違う存在です。

    なのに同じ『神』して表す。
    翻訳する時に他に選びようがない
    という意見も多くありますが
    それでも一言に『神』と表すには
    無理があるように感じます。

    そのため、
    【性格や見た目を付随して表す。】
    という手法がよく用いられています。
    例えば、
    荒ぶる神や疫病神などなど
    見た目で申せば
    象頭神とか、猿神、赤い、青いなどなど

    しかし、どういう神かという
    性格や見た目、性別、役割などを
    分かりやすく伝えることは出来ても

    『神』そのものは とても ふんわり
    していると感じます。(あくまで僕は)

    では、少し視点を変えてみましょう。
    漢字の成り立ちから 『神』を考えてみると
    とても、面白い考察ができると思います。

    『神』という漢字は
    部首は 示 (しめすへん)で
    旁(つくり)は 申 こうなります。
    示+申=神 という字が成り立っている。
    ここまでは簡単に整理出来ました。

    では意味を考えてみましょう。
    部首は その漢字の大きな意味を
    表す傾向があります。
    (例えば 月(にくづき)なら
    腹、肘、腸、内臓の臓など
    体そのものの部位)
    神の場合 示が 大きい意味を表すと
    します。 示という文字は
    供物や生贄などが捧げられた祭壇から
    始まった象形文字と言われます。
    (祝、社、衿などなど)

    それに対して旁(つくり)は
    その文字の細かい意味を表す
    傾向があります。
    (例えるなら、弱い魚で鰯 堅い魚で鰹など)
    神の場合は 申の部分が
    旁(つくり)となりますから
    申という字は 稲光の様子から造られた
    象形文字です。 しかし旁(つくり)として
    考えるなら 申 という字、
    そのものが表す意味に
    より近くなると考えて、
    反応する や 応じる 返答する と言った
    意味になるといえます。

    これらのことから!
    神 という字の本当の意味が
    垣間見えてきました!

    示(供物や生贄が置かれた祭壇)
    プラス!
    申(反応する、応じる、応答する)
    イコール!
    "神"

    ぐっとシンプルになりました。
    どの国のどんな神でも
    畏れられていようが
    敬われていようが
    これら全ての神は
    「神とはなんですか?」と問われたら
    「供物や生贄の置かれた祭壇に対して反応をする。あるいは、応じてくれるのがそうだよ。」と答えてあげれば
    間違いではないと
    言うことになりました!

    よかった よかった

    投稿日:2022/10/20

    漢字の妙なこと。

    コラム連投します。
    第2回
    はい!ゴコウです。
    よろしくお願いします。

    漢字の成り立ちや意味
    冷静に考えると かなり奥が深い。。。
    と勝手に思っています。

    例えば『道(みち、どう)』という字
    部首は之(しんにょう)
    旁(つくり)は首 で出来た文字です。

    この漢字の成り立ち当時を
    想像して頂く必要がある漢字
    としても有名で、

    何気なく、歩いていたら
    首が落ちていたという事実が
    元に作られたと言われています。

    まあ、そんな時代に出来た漢字
    なのだ。と思うしかないんですけども
    想像するとゾッとしますね。

    道とは正反対に
    文字の持つ本来の意味より
    過剰に怖がられている漢字が
    『呪、(しゅ、じゅ のろい)』この漢字
    では無いでしょうか?
    『咒』と表したりも出来ますね。

    この漢字の部首は
    口(くちへん)
    旁は兄 となります。

    この場合、単純に言葉を発している人
    つまり、呪文を唱えている人と
    捉えて頂いて差支えはないと
    思います。

    しかし!呪文と唱えている人と
    言うだけで なぜ怖く感じるのでしょうか?
    呪文の中身の善し悪しは表されていない。

    漢字の意味としては
    間接的に影響を及ぼす行為と
    言った意味になると思います。

    神頼みや言祝ぎ、
    祝福、賛美、賞賛なども端を発せば
    全てが呪文と、捉える見方も出来ます。

    〇〇式と呼ばれるものの
    ほとんどは 呪術的な要素が
    これでもか と言うほど内包
    されています。

    出初式、入学式、卒業式、成人式
    結婚式、葬式などなど
    式と言われないものでも
    初詣、宮参り、お食い初め、七五三、
    桃の節句、端午の節句や
    クリスマス、ハロウィン、
    誕生日、四十九日、百箇日、初盆、
    盂蘭盆会、施餓鬼法要、お彼岸
    一周忌~などなど
    例を挙げれば暇がないですね。

    日本人に限らず
    生まれてから 棺に収まり
    灰になってかも
    あらゆる呪術で彩られています。

    神頼み 仏頼り も
    直接動いて影響を与えられないことを
    頼りにして 願うわけですから
    呪術に他なりません。

    これだけ 密接で親しみ深い『呪』ですが
    やはり、怖いイメージが強すぎて
    バランスを失ってるように
    感じませんか?

    もっと言えば 呪い(のろい)と読めば
    怖くなるようですが
    呪い(まじない)と読むと
    怖さよりも親しみを感じると
    言われています。

    さらに おまじない と書けば
    その親しみ度は半端なく

    まあ、
    恋のおまじない、幸せのおまじない
    金運を上げるおまじない などなど
    色々ありますね。

    しかし、おまじない は お呪いと
    書きますから
    意味は全く同じです。

    恋の呪い 幸せの呪い
    金運を上げる呪い。。。
    同じ意味なのに
    怖いイメージが 消える気配すら
    ありませんね。

    つまり、呪 そのものの意味は
    単純明快で
    間接的に影響を及ぼさせる方法を
    表す漢字で
    これだけに限れば
    本来 怖い意味は まったく含まれません。

    が、あたかも、この漢字そのものは
    無味無臭、無色透明の水のような
    感覚で、付属する漢字や 読み方に
    よって怖くなる とても
    珍しい漢字といえますね。

    呪殺 人を陥れる呪い、不幸を誘う呪文などなど 怖くしようと思えば
    いくらでも出てきます。

    人を死に至らしめるおまじない
    不幸に誘うおまじない
    人を陥れるおまじない

    この場合は いくらかマイルドに
    なった気はしますが
    それでも 怖い例ですねw

    このように 呪 に対しての
    イメージは変わりましたかね?
    ぐっと身近に感じていただければ
    幸いです。

    これからも ちょくちょく
    思った事 感じた事などを
    コラムに書き連ねようと
    思っています。

    また、こんな事書いて欲しい!
    あんな事書いて欲しい!
    があれば、教えてくださると
    ありがたいです!

    それらのお声を
    ちゃんと反映できるかどうかは
    全く見えてませんがw

    どうぞ!よろしく

    投稿日:2022/10/19

    声占い?声聞師?

    千里眼 鑑定師 ゴコウです。
    初めまして よろしくお願いします。
    コラム第1回です。
    お手柔らかにどうぞ

    声占い?声聞師ってなに?
    聞き馴染みのない言葉ですね。
    本日は、これらの歴史から
    お話を進めさせて頂こうと
    思います。

    飛鳥時代・奈良時代
    (西暦500~600年頃)、
    我が国は
    交易を目的とした
    使節団として隋に派遣しました。
    有名な【遣隋使】ですね。

    外交官としての派遣ばかりではなく
    中には国費留学のエリートや
    私費留学の若者も 多く海を渡り
    多くを学び、日本へ持ち帰りました。

    その中には仏教経典や
    呪禁道(じゅごんどう)などの
    現在に置ける当時の最先端技術という
    位置にあるものも
    多く含まれていました。

    隋に変わり 唐と呼ばれる国になっても
    それらは受け継がれていきます。

    時代を降り 平安時代になると
    呪禁道は陰陽道に変わり
    国が認めた陰陽師は
    最高水準の建築家や科学者と言った
    様相を呈し、正式に官僚として
    暦、天文、時刻などを司る
    役職を担いました。

    国としては、陰陽道を独占し
    陰陽師以外は陰陽道を
    学ぶ事も禁じたほど
    国家における最高機密機関
    のような扱いでもありました。

    この国家試験(科挙と呼ばれる)
    は隋に始まり、清や、太平天国
    の時代にまで行われ
    日本にも、その影響を強く
    残し、平安時代にも科挙試験は
    行われました。

    当時の合格率は非常に低く
    また、その試験に受けることを
    許される条件も非常に厳しかった。
    と伝わります。

    毎年のように行われた時期もあれば
    数年後に行われた時期もあり

    知識や能力に達して居ても
    必ず合格出来ると言えなかったようで

    家格や血族の貴賎も
    大きく影響していたとする
    説も 有力です。

    ここまでが陰陽師(国家公務員)
    になるまでの道程でした。

    つまり、能力の低さではなく
    能力の高さは証明出来たが
    陰陽師になれるに至らなかった者たちが
    在野に下り、独学で陰陽道や呪禁道を
    確立させたのが
    はぐれ陰陽師、荒法師、歩き巫女という
    形に発展したと言われています。

    その中のひとつに
    声聞師(こえききし、しょうもんし)
    と呼ばれる職業があったと
    伝わります。

    その声聞師の役割として
    天、地、山、海、風、火、木々、
    石、岩、水などの精霊信仰と
    陰陽五行が混ざり合い
    それらの精霊の声を聞き、
    また、それらの声を詳らかに
    するという特徴がありました。

    それらの声を聞き、その精霊の
    望みや、思いを 人に
    伝えるという役目を担い、
    また、人の声の中から 色々な声を
    聞き分けて、それらを伝える。
    という声を用いた占いに
    発展させることが叶いました。

    現在 この方法を使っている占術師は
    ほとんど確認出来ませんが

    例外として恐山のイタコや、
    沖縄のユタ
    高知のイザナギ流の太夫と
    言った土着の信仰に
    声聞師の特徴を垣間見ることが
    出来ます。

    太占(ふとまに)と呼ばれる
    日本古来の占術の一つに数えられ
    例えば 骨占(フニウラ、コツウラ)は
    鹿の骨や亀の甲羅を焼いて
    割れ目から 豊作不作、豊漁不良を
    占ったり 国家の重大事にも
    それらの占いを頼ったという
    記述が古事記や日本書紀に
    残されています。

    声を軸にした 占術を声占(コワウラ)も
    紐解けば 日本における占いのルーツの
    一つである。という説も強くあります。

    現在も声を駆使する職業のルーツ
    であるとも伝わり、
    落語、漫才、歌手なども
    起源は声聞師にあると
    言われています。

    投稿日:2022/10/19

    ゴコウ先生 クチコミ情報

    とても親近感のもてる温かい雰囲気をお持ちの先生です。

    初めて鑑定していただきました!とても親近感のもてる温かい雰囲気をお持ちの先生です。問題の根底を見抜き
    今後どのようにすれば私が幸せになれるかをアドバイスしてくださいました。実践してみたいと思います!

    【女性 54歳】

    投稿日時:2022/12/07 14:45

    ゴコウ先生は気持ちが良い鑑定でした

    ゴコウ先生不安が強くて三日間連続で電話してしまいました。どういう選択が良いかみてもらい、いい方向に行っているようで、今は落ち着きました。ついでに恋愛も見てもらいました。こちらは競争相手が多いみたいでなかなか難しいってハッキリ。話しのやり取りがスムーズで、見えている事を話してくれて、柔らかい声でこうしたら関係が良くなって行くと言ってくれましたが、しないだろうな(笑)。他の先生ではオウム返しして話しを長くして、一つの質問に10分以上かかる先生がいたり、不安をあおる先生がいますが、ゴコウ先生は気持ちが良い鑑定でした。ありがとうございました。面白かった!先生またね!

    投稿日時:2022/12/03 21:37

    ちょっとお話ししただけで色々見通され驚きました。

    ちょっとお話ししただけで色々見通され驚きました。具体的なアドバイスも色々頂きました。

    投稿日時:2022/11/26 16:35

    すべて当ててくれました!

    名前と生年月日そこからは特に何も言ってませんがすべて当ててくれました!今の悩みの背中を押してくれたので感謝しかないです!ダメなところはダメと教えてくれたし未来のアドバイスもたくさんいただきました!ありがとうございました!また相談させていただきます!

    【女性 31歳】

    投稿日時:2022/11/24 19:25

    どうすれば良い方向に向かうかアドバイスしてくださいました。

    私が決断しようとしていることに対して、ハッキリとあまり良くない決断だと伝えてくださいました。自分が今決めていることが最良の選択でないとわかっても、今の私にはその選択しかないことも、先生はわかってくださり、そのうえで、どうすれば良い方向に向かうかアドバイスしてくださいました。今の私の選択の中でも、これから先生に相談させていただきながら進むことができると思うと、安心することができました。また、相談させていただきます。ありがとうございました。

    【女性 43歳】

    投稿日時:2022/11/05 12:25

    1番の悩みをすぐに当ててくださったことで、安心してお話をすることができました

    今回、初めての体験で、ブースに案内されるまで緊張していましたが、『自分に自信がない』という、1番の悩みをすぐに当ててくださったことで、安心してお話をすることができました。また、自分で理解できていなかった、自分の魅力にも気づかせてくださり、『私は、生きてるだけで価値がある』と、前向きになることができました。

    【女性 36歳】

    投稿日時:2022/10/31 13:27

    的確な占いしてくださりありがとうございます。

    的確な占いしてくださりありがとうございます。一歩前に踏み出します。

    【女性 57歳】

    投稿日時:2022/10/25 14:21

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